中東における民主社会の形成とイスラム

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ムルシの追放でエジプトは良くなったのか?

ムバラク元大統領に無罪が言い渡された。「ムスリム同胞団」のムルシ前大統領がクーデターで追放されて1年あまり、軍部が主導する現政権の、旧体制回帰への姿勢が鮮明になった。ムバラクの無罪判決に先立ってなされた、78人の少年(13歳~17歳)を含むムルシ支持者たちへの有罪判決は、その見方を補強する。

“Egyptian court sentences 78 children to jail for protesting against regime”. The Guardian. Nov 26th, 2014
 
 
ムルシ前政権は同胞団が母体であるため、国際社会から多少の警戒心を持って見られていた。しかし、曲がりなりにも民主的な手続きを持って選ばれた政権である。構成員に実務経験が少なく、政権や官僚機構の運営に不備があったことは事実だが、言われるほどイスラム専制的な政治を行ったわけではなかった。

地方を中心に支持を固め、徐々に攻撃的性格を薄めてきていた同胞団には、民主政治の一翼を担える可能性があった。そもそも旧体制のムバラク政権が倒されたのは、リベラルな思想を持つ若者たちだけが主役ではなく、同胞団を支持するような、世俗政権に不満をもつ広汎なイスラム勢力が存在したことも一因である。しかし、民主化の主役であったはずの彼らは、一方的に粛清され、ほとんどの幹部が、現在収監中である。彼らの側に立った論調が少ない背景には、特に欧米諸国における「イスラムは危険だ」という偏見があるように思われる。

少なくとも、軍部出身の現政権は、ムルシ前政権よりも特定派閥偏向の度合が強く、反対者に対しても、より抑圧的である。『ガーディアン』によれば、2013年7月のクーデター以降、1400人が殺され、15000人以上が牢獄につながれている。民主主義のスタンダードから見れば、状況は好転しているとは言い難い。
 
 
「政教分離」を再考する

以前に紹介したカレン・アームストロングの論考の中でも、この問題は指摘されている。エジプトの軍部による民主政権の転覆に対する非難が高まらないのは、イスラムが政治に関わることに対する警戒、すなわち「政教分離」の視点に立った宗教的政治勢力への偏見があるからだ、と。

Karen Armstrong. “The myth of religious violence”. The Guardian. Sep 25th, 2014
 
 
アームストロングは欧米諸国による「政教分離」の押し付けが、現在、中東における宗教勢力の不満の原因となり、多くのテロを誘発していると指摘する。それは確かに一考を要する主張である。実際に、世界の多くの地域では、宗教と政治など現実の社会生活は密接に結びついていてきた。そこに、西洋近代の特殊な産物である「政教分離」を無理に当てはめたところに問題があると彼女は言うのだ。

近代的国家の前提と考えられてきた「政教分離」そのものへの疑問の提示である。しかし、ここで一律に、欧米以外の地域における「政教分離」の効用を否定するのは早計だろう。政治と宗教が未分離であった中世以前に問題があったからこそ「政教分離」が生まれたのである。ここで注意を要するのは、カレンが指摘する、世俗権力による一方的な宗教の分離、疎外は、必ずしも「政教分離」の唯一の形ではないということだ。

フランス革命に代表される「敵対的政教分離」は、世俗権力による宗教の無力化、あるいは抹殺を意味した。一方、米国型の民主主義における「政教分離」は、国家が特定の宗教を強要することを禁じたものであり、宗教それ自体は、むしろ民主政治を構築する上で肯定的な要素として尊重した。そこにおける「政教分離」は「友好的」であり、信教の自由を基盤に「起業家精神」をもって、宣教、社会活動を積極的に展開する教会が数多く生まれ、米国社会の活力の源となった。

教会は、保育園、学校、救貧院等を経営し、地域福祉の担い手となるばかりではなく、道徳性を備えた優秀な実務家、政治家をも多く輩出してきた。これらの経験を背景として、米国務省宗教自由局初代局長ト―マス・F・ファー(Thomas F. Farr)は、中東地域における民主社会形成のプロセスに宗教勢力を関与させるべきだと提言している。

彼が、2008年に『Foreign Affairs』に論文として発表した、それらの内容が真剣に討議され、米政権の中東政策に反映されていたならば「アラブの春」の動向は多少変化していたかもしれない。そこでは、すでにイラクやエジプトの今日の苦境が予見されている(ファーは同様の趣旨を2013年6月13日にも米下院小委員会で証言している)。

Thomas F. Farr. “Diplomacy in an Age of Faith”. Foreign Affairs. 2008MAR/APR

Thomas F. Farr. “Examining the Government’s Record on Implementing”. Committee on Oversight & Government Reform. June 13, 2013
 
 
生かされなかった提言

イラクについて彼は「イラクの準自由主義的な憲法と選挙の双方は、いかにイラクの政治的文化が宗教によって動かされているかを示した。現在では、米国が、イラクのための計画において、他の多くの要因の中でこの(宗教的)要因に、十分な注意を払ってこなかったことは明白である」と述べ、イラク問題の永続的な解決のためには、(民主化のプロセスに)シーア派、スンニ派、それぞれのコミュニティから声を発することのできる宗教者を関与させるべきだと述べていた。実際に、トム・ファーの懸念は現実のものとなる。結局は、スンニ派を代表する声を届けることができない政治プロセスへの不満から、イスラム国の台頭を許したのである。

エジプトについても、米政府のムバラク政権への支援はイスラム根本主義の高まりを押える事にはつながらず、自由選挙が行われた場合にはムスリム同胞団が勝利するだろうと正確に予見している。そして、ムスリム同胞団の一部に、自由主義のスタンダードを採用する動きがあるにも関わらず、米政府は同胞団を無視し、彼らの政治的進化に影響を及ぼす機会を拒んでいる、と警告を発していた。

彼は「過激主義とテロリズムを打ち破る事が出来るのは、イスラムの心から発言するムスリムだけだ」と書く。中東には、私たちが想像する以上にイスラムが深く根を張っている。その地に民主的な政治が根付くためには、イスラムの信仰をもつ彼ら自身が民主主義を学ぶしかないのである。それは、相当、長期にわたるプロジェクトになるだろうが、その場しのぎの「解決」が更に深刻な問題を引き起こすことを私たちは痛いほど経験している。

ファーは次のように書いていた。「エジプトでは、米国は、ムスリム同胞団を含む、すべての宗教的政治的コミュニティを引き入れる政策を採用すべきである。しかし、それは、同胞団が生まれながらに自由主義者であると決めてかかるべきではない。それとは逆に、彼らが何であり、彼らが政治的神学的に進化できるかどうかを正確に知らなければならない」。

宗教者たちが政治プロセスに関与することにより、現実を学び変化、成長することができる。宗教は、信念を同じくする者の共同体であるため、閉鎖的になればなるほど、独善的で過激化する傾向がある。信念は現実の中で鍛えられなければならない。集団の思想は、より大きな共同体の中で試され成熟していかなければならない。ファーは、同胞団にもそのプロセスを通過させるべきだ、と考えていたのである。

「エジプトにおける民主主義が意味するものは何か、同胞団が公的に説明するよう奨励すべきだ。これを正しく行うなら、彼らは、信教の自由と多元主義的民主主義を理解する機会を得る。彼らが語る民主主義に、公的場でイスラムを議論する権利、法の下での女性や宗教的少数者の完全な平等、宗教を選択する権利などが含まれるだろうか。そのプロセスを通して、同胞団が政権を握る事の意味が明らかになるだろう」

ここで指摘されているような事柄が、結局はムルシ政権の致命傷となった。政権運営に失敗した「同胞団」の悲劇は、閉じた集団が、突然、経験不足なままに公的権限をもったところにある。それは、同時に、ファーの洞察に満ちた提言を生かすことができなかったオバマ政権の失政と言えるだろう。
 
 
米国の経験と中東の未来

ファーは論文の最後において、米国の民主主義も同様の学習のプロセスを通ったことを振り返る。1660年代、植民地の会衆派信徒たちはボストンコモン(アメリカ最古の都市公園)においてクエーカーを拷問して絞首刑に処した。しかし、彼らはやがて、植民地経営の経験を通して、民主主義を学び、歴史上比類のない信仰の自由の体制を受け入れた。更には、多くの優秀な政治家や実務家を育て、250年にわたり安定して発展し続ける民主主義国家を築いたのである。

重要なことは、その体制は「啓蒙思想だけの、あるいは社会や政治からの宗教の分離の結果ではなかった。それは神学と政治が相前後して発達した結果であったのである」。イスラム政党には同様の経験が許されないのだろうか。ピルグリム・ファーザーズが上陸した1620年から、1776年の独立までには、実に150年余りの期間があったのである。

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