中東キリスト教徒の生存術

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ウォールストリートジャーナル(以下WSJ)にウォルター・ラッセル・ミード(Walter Russell Mead)が「中東キリスト教徒の窮状」と題したエッセイを寄稿した。

Walter Russell Mead. “The Plight of the Middle East’s Christians”. The Wall Street Journal. May 15, 2015

シリア内戦や、その後に続くISの台頭により、中東のキリスト教徒は苦境に立たされている。取り残された者たちは虐殺の恐怖に怯え、既に多くの者たちは逃亡し難民となっている。2000年間、特にイスラムの台頭以後は少数派として生き延びてきた彼らの命脈は、いよいよ断絶の危機に陥っている。

ミードは、現在の混乱状況について、1世紀以上にわたる宗教的、民族的な対立に深い根を持つと指摘する。その凄惨な歴史の直接的な引き金となったのは、第一次大戦前に存在した多民族、多宗教の四つの帝國、オスマントルコ、ロシア、ドイツ、オーストリア・ハンガリーの崩壊だ。

かつて、その四つの帝國が支配していた地域には、現在40余りの国家が成立している。それらは「国家的独立のための多くのグループの願望を満たし、多くの国々で民主主義に至るドアを開いた」が「そのプロセスはスムーズでもなく、多くの場合公平ですらなかった」。そこには多くの「戦争と民族浄化の度重なるエピソード」があり「地域中の至る所に憎しみと恐れの遺産を残した」。

「秩序が崩壊したとき、アイデンティティの戦争が起こる」とミードは言う。それがオスマンとロシアの崩壊の時と同じく、専制君主の力が衰えた現在、中東地域で起こっていることだ。

当然、悲惨な闘争の歴史において、キリスト教徒だけが一方的に被害者であり続けたわけではない。ムスリムや、その他の少数民族、諸教派の信徒たちも多くの犠牲を払ってきた。しかし、現在の中東地域において、イスラム過激主義者の格好のターゲットとなっているのは、やはりキリスト教徒である。
 
 
伝統的な「生き残り戦略(survival strategy)」

ミードは、その少数派としての宿命的な歴史の中で、キリスト教徒が生き残りのために編み出してきた戦略を振り返る。その戦略は大きく分けて四つだ。

一つ目は、その存在を目立たせないこと。イラクなどでは山岳地帯に逃れ、イスタンブールなどの市街地においては、隣人との敵対を避けるべく注意深く行動した。

二つ目は外国の保護者を探し出すこと。19世紀、オスマントルコ領内のキリスト教徒やその他の少数民族は欧米諸国に庇護を求めた。正教徒はロシア、カトリック教徒はフランス、ユダヤ人は英米にその目を向けた。これは一定の成功を治めたが、結果としての代償も大きかった。親ロシアのアルメニア人は、それを口実とした大虐殺に遭遇した。1920年代アラブとクルドの反乱軍を鎮圧する英国軍に兵力を提供したアッシリアのキリスト教徒は、英国の撤退後に報復にさらされることとなった。外国の介入はしばしば遅く、中途半端で、強国間のパワーゲームで揺れ動く頼りにならない「葦」だった。

三つめは、世俗的(非宗教的)なアラブ・アイデンティティを推進することである。ドイツや米国で、カトリック、プロテスタントが共に市民として共存しているように、彼らは、キリスト教徒とムスリムが対等な市民として出会える世俗国家の建設を目指した。しかし、この世俗的なアラブ国家主義はその魅力を失っている。国家主義時代を主導した政治家たちは、失敗国家の専制君主となった。「アラブ世界の知的な振り子にはイスラム主義的な思想への揺り戻しが起きており、キリスト教徒は、これまで以上に、取り残されている彼ら自身を発見した」。

最後の戦略は、強力な統治者にしがみつくことだ。シリアのアサド、エジプトのムバラクなどである。これは双方に利益があった。キリスト教徒は保護と安定を手に入れ、統治者は彼らの提供する質の高いサービスを享受し、欧米諸国に対する仲介者として彼らを利用した。しかし、この戦略は独裁者が倒れるとき、キリスト教徒をすさまじい復讐にさらすことになる。

これらの伝統的な生き残り戦略は、中東地域の秩序が根本的に崩れ始めた現在、役に立たなくなってきた。では、彼らに残された選択肢とは何だろうか。
 
 
キリスト教徒が取り得る三つの選択肢

ミードは、中東のキリスト教徒たちに残された三つの選択肢を提示し、それぞれに対応する国際社会のオプションを提案する。

一つ目は、「砦」を作り、敵が征服できない防御的で十分に武装した飛び地をつくることだ。実際に、現代の中東で生き残った少数民族は、すべて軍事能力を身に着けている。ユダヤ人、クルド人、アルメニア人、マロン派教徒、ドゥルーズ教徒たちだ。もし、その道を選択するキリスト教徒がいるなら、彼らを国際社会も支援するべきだ。

二つ目は、数百万人が既にそうしているように、彼らの家、故郷を離れて逃亡することだ。世界の同盟者たちは「彼らが新しい家を見つけて新しい生活を始める」ことを助けなければならない。

最後の選択肢は絶望的なものである。つまり「大虐殺を待つ」ことだ。その時には、私たち域外に住む者たちは、多くのキリスト教徒たちが虐殺され、レイプされ、飢えの中に放置されるのを、手を組んで祈り、信心深く涙することしかできないだろう。
 
 
国際社会の現実と日本

残念ながら、ミードの結論こそが国際社会の現実である。日本のように安定した平和な国家に住んでいれば、口先で「平和」を唱えることは簡単だ。しかし、現実に敵対する勢力が武器をもって対峙している戦場においては、実際に選ぶことが出来る道は非常に限られている。

武器を取るか、愛する故郷を捨てて逃げるか、それとも殺されるのを待つか、それ以外にはないのである。集団的自衛権をめぐる国内の論争を見ていると、つくづく日本は特殊な国だと思わされる。特に戦後70年、全く戦争の惨禍にさらされることがなかった私たちの生活は、確かに「僥倖」とも言うべき、奇跡的な例外だったのだ。

今後も同じような歴史が綴られていくという保証はどこにもない。人口が増加する一方のアジア地域の中にあって、少子化の進む日本人は数ある少数民族の一つでしかなくなるだろう。10数億の中国人が、国土の枠を超えて溢れ出すとき、あるいは、中国、北朝鮮で既存の体制が倒れて、無秩序状態が訪れるとき、アジア全域における熾烈な生存競争が始まらないとも限らない。

中東やアフリカの問題を見ても、一般的に西洋植民地主義の害悪が語られることが多い。しかし、世界史の現実は、西洋の帝国主義が現れる以前から、殺戮と闘争でつづられてきたのである。わが国の歴史をとっても、2000年足らずの歴史の中で、どれだけ多くの戦いが起こってきたことだろうか。

勿論、そのような歴史はどこかで終止符を打つべきだ。しかし、そのためには、口先だけで「平和」を唱えるだけでは不十分である。まずは、国際社会の冷徹な現実を見据えたうえで、地に足をつけた緻密な戦略を練ることが必要となるだろう。凄絶な斬り合いを行っている敵同士を結び付けることは簡単ではない。

もし、日本が真に「積極的平和主義」、言い換えれば「平和に対する積極的な貢献を成す国家」となる道を進もうとするならば、並々ならぬ覚悟と決意が必要なことは間違いない。

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