英国宗教事情

culture

ロンドンのキリスト教会

イギリス、特にロンドンは世界都市であり多文化社会だ。『The Economist』のエラスムス・ブログは宗教と公共政策がテーマだが、その中に現代イギリスのキリスト教についての記事が掲載された。

“Setting the Thames on fire”. The Economist. Feb. 20th, 2015

他のヨーロッパ諸国と同様にイギリスの既成キリスト教会も徐々に衰退しつつある。首都ロンドンにおいてもキリスト教徒を自認する人の割合は2001年の58%から2011年には48%まで低下している。しかし、同じロンドンにおける毎週の礼拝参加者の平均は、2005年の62万人から、2013年に公表されたデータでは72万人に増加している。市内の礼拝場所も2001年から17%増加して4800か所に増えている。

この増加をもたらし要因は英国国教会の復活ではない。むしろ、市民の40%が海外出身者となったロンドンの世界都市(World City)化が原因である。従って、ロンドンで活気があるのも国教会の伝統的な礼拝ではなく、タガログ語やポーランド語のカトリックのミサ、ポルトガル語(ブラジル系)やその他の言語でのペンテコステ派の集会である。また、カリブの福音主義者からカリスマ的なアフリカ人指導者に引き付けられる礼拝までを含む黒人教会の隆盛は、礼拝参加者の増加分のかなりのシェアを占めている。アメリカンスタイルの教会伝道は、保守的な福音主義のエートスで一部の中流階級の心をとらえた。

日本人などが思い浮かべる一昔前のロンドンのイメージとは、かなり様変わりしているようだ。
 
 
『私はシャルリではなくアーメド』

ロンドンのみならず、多文化社会に移行しつつあるイギリスにあって、現在、最も課題となっているのはムスリムの統合である。2月25日、BBCが英国ムスリムの意識調査を発表し、やはりエラスムス・ブログがその結果について触れている。

“No Charlies here”. The Economist. Feb. 25, 2015

この意識調査において、回答者(ムスリムが対象)の実に95%が英国に忠誠を感じており、93%は「ムスリムは英国の法に従うべきだ」と答えた。記事では、この結果について、英国のムスリムに「権力への忠誠が美徳として認められている南アジア」の出身者(カシミール地方やバングラディシュシュ)が多いことが理由だろうとしている。

ただ、理由が何であるにせよ、これは一般の英国人を上回る数字であり、大半のムスリムは愛国心にあふれ、遵法意識も高い、良き市民であることが分かる。モスクや、イスラム神学校(マドラサ)においても、扇動や無秩序を排し、当局に従うことを望ましい行為として教えている。

しかし、調査結果における「表現の自由」に関する部分では、自由社会に生きるムスリムの微妙な心理が垣間見える。パリのテロ事件の口実となった預言者ムハンマドの肖像の公表に対しては、実に78%が「非常に不快」だと答え、11%は、そのような組織が「攻撃されるに価する」と答えた。

預言者の肖像を公開する人々への「暴力行為」については、「決して正当化されない」と68%が言明する一方で24%はその意見に反対だった。そして、27%の人々はパリのテロの背後にある「動機にいくらか共感する」と答えた。

多くのムスリムは、自分たちの信仰が侮辱される痛みを感じながらも、自由社会の価値を認め、そこに統合しようと自制心をもって苦闘している。記事では、このようなムスリムの姿を、パリのテロ事件で犠牲となったムスリム警官、アーメド・メラべドに重ねている。

パリの事件の直後『私はシャルリー』と多くの人々が掲げた一方で、『私はアーメド』というスローガンも現れた。その際、人気を集めたツィートは「私はシャルリーではない。私は亡くなった警官アーメドだ。シャルリーは私の信仰と文化を嘲笑した。そして、私はそのように(嘲笑)する彼の権利を守るために死んだのだ」というものだった。
 
  
すべての魂にー『All Souls』の試み

その中で多文化社会の調和に向けた前向きな取り組みもなされている。『NPR』では、ムスリムによる共生のための取り組みを紹介している。

“In English Town, Muslims Lead Effort To Create Interfaith Haven”. NPR. Mar. 3, 2015

ボルトンに住むムスリム指導者イナヤット・オマージは、近隣の捨てられた教会を修繕しようと見に行った時、住民たちの当惑した反応に出会った。「教会に、ひげを生やした若いムスリムの男がいる。彼は教会をモスクに変えるつもりなんだ」。

その頃、ボルトン近郊には既に三つか四つのモスクがあった。オマージは言う。「必要とされていたのは、人々が出会い、集い、社会的に交流できる場所だった」。そして、オマージをはじめとするムスリムは、その古い教会を、モスクではなく、すべての人のためのコミュニティ・センターに変えることを決意した。それは10年前のことだった。

教会が持っていた名前は、そのビジョンにぴったりのものだった。「All Souls」。これはムスリムの為だけの建物ではなく、すべての人のためのセンターである。そこは現代的な会議スペースやカフェなどを備える一方で19世紀の凝った教会の要素も残している。学校の生徒たちの放課後の活動場所としても使われ、編み物やガーデニングのサークル、レゴ・クラブなどもある。

特筆すべきは、このコミュニティ・センターが、かつて教会であった建物と歴史への敬意を明確に示していることだ。一つの壁には映像が上映されるようになっており、そこには、以前の教会の会衆たちがそれぞれの思い出を語る短いビデオが流される。教会の祭壇も無傷なままに残されており、月に一度は地元の信徒たちがキリスト教の礼拝を捧げると言う。

もちろん、何の摩擦もない訳ではない。その地域のイングランドの料理はたくさんの豚を含むが、そこにあるカフェはハラールであり、イスラムの禁忌を守っている。一方で、イスラムでは不浄だと考えられる盲導犬は建物の中に入ることを許される。アルコールを伴う集会が行われる際は、完全に別々の個人の集まりとして組織され、敬虔なムスリムは当然飲酒を避ける。
 
 
 
このような努力や葛藤が一方にありつつも『All Souls』の試みが希望の象徴と感じられるのは、記事の中にもあるように、そこに文化や歴史に対するリスペクトが感じられるからだろう。これらはイギリスの物語だが、日本もいずれは多様な文化的、宗教的背景をもった人々が、より多く含まれる社会になっていくだろう。

かつては神社や仏閣であったスペースが、キリスト教の教会やモスクに建て替えられることも絶対にないとは言えない。そのような時に、私たちの一歩も二歩も先に進んでいるヨーロッパの経験は、多くの示唆を与えてくれるに違いない。

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です