開封のユダヤ人コミュニティへの圧迫
中国河南省の開封市と言えば、北宋時代の首都として栄え、現在でも人口500万人を超える大都市である。実は、この都市の片隅に、北宋時代に定着したユダヤ人の子孫が生き延びているという。おそらくは商人としてこの地を訪れたであろう祖先たちの信仰は、やがて中国人との混血を重ねる中で薄れていき、12世紀に建設されたシナゴーグも廃墟となった。
しかし、改革開放政策の流れの中で、特に1990年代から、この地に関心を持った世界中のユダヤ人の旅行者、学者、ビジネスマンなどが頻繁に訪れるようになり、ユダヤの子孫たちの中に、ささやかだが力強いリバイバル(信仰復興運動)が起きはじめた。海外のユダヤ人による支援のための組織も立ち上がり、開封にオフィスを開設した。そこでは、ヘブライ語や律法、祝祭日の儀礼などの講座が開かれ、ユダヤ人の子孫の若者たちのための奨学金なども創設された。
もちろん、彼らは、あまりにも長い間、世界のユダヤ人コミュニティから隔絶されていたために、地元の人々との交叉結婚を重ね、血統、特に母親の信仰を重視する正式なユダヤ教の立場からは、本物のユダヤ人とは認められない。しかし、リバイバルの中で、若者たちの中から、正式な回心を経て真正のユダヤ教徒となり、イスラエルの市民権を授与される者もあらわれて来た。また、観光をあてにする地元当局も、彼らの活動を黙認ないし歓迎し、過ぎ越しの祭りなども、近隣の人々を集めて祝われるようになった。
もちろん、ユダヤ人が自らの祖先であると主張する人々の数は、すべてあわせても1000人に満たないほどであり、ユダヤの宗教、文化を実践する人々は、更に100人~200人に留まる。あくまでも地方都市の中の小さなコミュニティだ。
こうした人々が、人口13億の中国の中で脅威になるとは、とても思えないのだが、近年の習近平中央政府による宗教、思想、特に外国と関係する組織に対する締め付けは、この小さなユダヤ人コミュニティにも及んでいるという。『ニューヨークタイムス』にクリス・バックリーがレポートを寄せている。
Chris Buckley. “Chinese Jews of Ancient Lineage Huddle Under Pressure”. The New York Times. Sep 24, 2016
小さなコミュニティの不釣り合いな受難
そのレポートによると、まず、この地のユダヤ人を支援してきた二つの団体の活動が困難になっている。
その一つ「中国ユダヤ協会(Sino-Judaic Institute)」で働いていたBarnaby Yeh(ユダヤ教に改宗した台湾系アメリカ人)が、昨年、警察から詳細な調査を受けたため、この団体は開封での活動から撤退した。そして、開封のユダヤ人たちがイスラエルを訪問したり、その地に定着するのを支援している「Shavei Israel」は、2014年に警察からコミュニティセンターを閉鎖するよう要請された。住民たちは抵抗したものの、今年に入って、強制的な閉鎖の命令が下ったという。
そればかりでなく、ユダヤ教の歴史的存在を示す痕跡すら消されようとしている。かつてシナゴーグが立っていた場所は、現在、病院となっているのだが、まず、そこに建てられていた石碑が撤去された。更には、病院の裏手にある古代の井戸までも、コンクリートと土で埋められてしまった。病院関係者によると、その措置は、市の当局者から命じられたものだと言う。
あからさまな逮捕、拘束という事態には至っていないが、彼らは、公的な場所でのユダヤ教の実践を禁じられ、今では、家庭における小グループでの礼拝や祈祷のみが認められている。まるで改革開放政策以前の中国に戻ったかのようだ。
ここでバックリーは、欧米におけるユダヤ人差別と、開封におけるユダヤ人の受難を区別する。中国におけるこの出来事は、民族的な偏見や差別ではなく、単純に、宗教と外国勢力を恐れる共産党政権による治安維持の問題である。これらの出来事に対して、実際に自国民が不利益を被っているわけではないイスラエルがどのような対応を取るかは未知数だ。バックリーの記事の中では、イスラエル大使館のスポークスマンEfrat Perriの「最近、この情勢を認知したばかりであり、事実関係を調査したい」とのコメントが紹介されている。
ユダヤ教と中国文化は似ている?
翌9月25日にも『ニューヨークタイムス』は、バックリーによる、開封市のユダヤ人に関する記事を掲載した。内容は、オーストラリアのユダヤ研究者、モーシェ・イェフダ・バーンスタイン(Moshe Yehuda Bernstein)とのインタビューである。彼は、開封のユダヤ人のリバイバルについての本を、近々出版する予定となっている。
Chris Buckley. “Jewish and Chinese: Explaining a Shared Identity”. The New York Times. Sep 25, 2016
ここで、興味深いのは、バーンスタインによる、中国文化とユダヤ教との親和性についての指摘である。彼は、欧米のユダヤ教徒が、主流のキリスト教文化から自らを隔離することでその繁栄を保ったことと比較して、開封のユダヤ人たちは、むしろ、中国人と価値を共有することで、自らを恒久化したという。
彼が指摘する両者の共通点は「孝行心、年長者への尊敬、学問に対する敬意、伝統的な権威に対する尊重」だ。そうした価値観において、モーセと孔子は重なるのかもしれない。バーンスタインによると、現在起きているリバイバル自体も、開封のユダヤ人たちが持つ中国的価値観に深く根差している。開封のユダヤ人コミュニティで起こっているリバイバルが、奨学金や、活動への支援金をあてにした物質的な動機で起こっているのではないか、という質問に対して、彼は以下のように答える。
「物質的な動機が、このリバイバルを刺激するうえで何らかの役割を演じたことは事実だろう。『Shavei Israel』や『Sino-Judaic Institute』のような組織は、彼らのコミュニティの集会に支援を提供した。数人の子孫たちは、奨学金や補助金をこれらの組織から受領した。加えて、『Shavei Israel』は、少なくともそのコミュニティの若者たち17名のためにアーリヤ―(イスラエルへの移住)を容易にした。彼らは、ユダヤ教への公式的な回心を経験し、イスラエルの市民権を授与されている」
「しかしながら、そのコミュニティの動機を、物質的な次元に引き下げることは、彼らのユダヤ人としての自己同一化において最も重要な要素を見落とすことになる。彼らの集合的な歴史的記憶と、その人の先祖に対する忠誠心という中国的な概念だ。これらは、中国=ユダヤアイデンティティ(Sino-Judaic identity)の内的動機であった。物質的な利益は、付随的なものだ」
つまり、先祖伝来の信仰を受け継ぎ、その慣習や儀礼を模倣することは、彼らにとって極めて中国の文化的伝統に沿った行為でもあるというのだ。実際に、彼らの多くは、中国古典に対する心からの敬意を表明するという。そして彼らは「中国の伝統には超越神の明確な概念が欠如している」としながらも、その価値体系が著しく類似していると指摘した。また、バックリーが接触した開封のユダヤ人も、当局者のいないところでの匿名の取材にも関わらず、中国に対する愛国心を表明している。
そうした意味では、本来、彼ら中国内のユダヤ人は、異文化のみならず現実のイスラエル国家との橋渡しともなり得る貴重な存在のはずであり、中国政府が望む、中国の伝統文化の優秀さと普遍性を証明してくれる人々でもあるはずなのだ。もちろん、警察の調査を受けた「Sino-Judaic Institute」の職員が台湾系米国人であったことを見ると、その組織の背後に、米国などの政治的な意図を感じても不思議ではない。ただし、もしそうであったとしても、その影響は、信者数1億に迫るといわれるキリスト教などと比べて、微々たるものでしかなかっただろう。
しかし、今の中国政府には、こうした僅かな疑念すら、おおらかに許容する余裕がないのだろう。世界最大の人口と強大な軍隊をもつ国家による、この小さなコミュニティに対する不釣り合いな圧迫は、その国の支配層が持つ不安と恐れを象徴しているのかもしれない。
2016年9月30日
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