決して「キリスト教対イスラム」ではない
「十字架」が狙われた
リビアでIS(今後、このブログではISという呼称に統一します。記事の翻訳文の場合は、基本的に原文の表現に合わせます)に同調する勢力が21人のエジプト人労働者を虐殺した事件は、エジプト政府による報復攻撃を呼び起こした。更に、このエジプト人がコプト教徒であったことは、IS側が聖戦の大義を正当化するために「イスラム対キリスト教」という構図を何としても作りたがっていることを改めて示した。
この虐殺を受けて、ホワイトハウス前ではコプト教徒がデモを行っている。『ワシントン・ポスト(Wahington Post)』が報じた記事では、米国社会において、エジプト出身のコプト教徒は数こそ少ないが、その多くが教養のある専門性の高い人々であるため、政権に対する一つの声の源となっているという。その中に少数ながら、家族への仕送りの為に地方から出てきた出稼ぎの労働者が含まれており、その中の一人、29歳のハンナ・アサードは、今回のリビアでの悲劇で自らのいとこや知人を失った。記事では、彼の切実な訴えを紹介している。
「私は、いとこに電話をかけて、彼がリビアを去るべきだと話しつづけた。しかし、そこには安全な脱出の方法がなかった」
「彼らは、私のいとこ、私の甥、そして私の同級生たちを殺害した。そのうちに彼らは、この国でも人々の殺害を開始するだろう」
「彼らはムスリム以外の非信者は誰であっても殺されるべきだと信じているんだ。彼らはキリスト教徒を探し回り、その十字架によって彼らを特定した」
そう言って、彼は自らの袖を引き上げて小さな十字架の入れ墨を示したという。それは回心の際に行われる伝統的なコプトの儀式である。
「十字架の印が狙い撃ちされた」…これは、多くの米国人が持つ、同じキリスト教徒としてのアイデンティティに訴えかけるものだ。もちろん、米国のみならず、国際社会はコプト教徒が遭遇した悲劇を放置すべきではない。しかし、これは決して宗教戦争ではない、ということも明確にし続ける努力が必要だ。今回のリビアにおける悲劇も、イスラム教徒がキリスト教徒を殺したのではない。偏狭な過激思想を持った者たちが、異なる考えを持つ非武装の市民を殺した事件だ。戦うべき相手は異教徒ではなく、戦う動機も宗教的動機であってはならない。
立ち上がるニネヴェのキリスト教徒たち
この「イスラム対キリスト教」という危険な構図は、イラク・シリア地域においても当然ながら存在する。今週の初めにISは、北東イラクで11の村を急襲し、アッシリア・キリスト教徒を200名以上誘拐した。近隣の町からは、およそ1000人のキリスト教徒たちが自らの家を捨てて避難した。『UPI』が以下の記事において報じている。
Danielle Haynes. “Islamic State now holds 220 Syrian Christians hostage”. UPI. Feb 26, 2015
記事中でも触れられているが、今回の事件と、アッシリア・キリスト教徒がISと戦うために独自の部隊を編成したこととは関連があるだろう。その組織とは『ニネヴェ平原防衛部隊(NPU)』である。この部隊は軍事訓練を受けた350人から500人のアッシリア人で編成されており、訓練を提供したのは米国の非営利組織『国際自由の息子たち(SOLI)』である。SOLIの創設者、マシュー・ファンダイクはリビア内戦に参加した経験をもち、当時のカダフィ政権下で戦争捕虜となった経験を持っている。
『USAトゥデイ』には、このNPUとSOLIの指導者に対するインタビューが掲載されている。そこで紹介された発言は以下のようなものだ。
Therese Apel. “Army of Assyrian Christians aims to fight Islamic State”. USA TODAY. Feb 24, 2015
「もしあなたが何かを信じているなら、あなたはソファからテレビに同意を示すよりも、外に出て何かをするべきだ」
「イラクのキリスト教徒のコミュニティは長い間、周縁に追いやられてきた。それは終わらせるべきだ。そして私は、彼らを助けるために、一緒に事を進めることができるコネクションと経験を持っている。それが私のしていることだ」
「彼らが住民を守ることができ、二度と同じような事が起こらないようにできるとNPUを通して証明できないために、住民たちは現実に身内の生存をかけて苦闘している。人々は彼らの家に戻らないだろう。そして、彼らはその国を去り続けるしかないのだ」
「クルド人のゲリラ部隊がその地を去った時、ニネベ平野のコミュニティの人々は殺され、誘拐されるままに放置された。女性たちの多くは拉致され、性奴隷やジハードの花嫁として使われた。彼らが保護を受けるとしたら、別の独裁体制との取引しかなかった。彼らが自衛する手段を与えられることは、彼らの独立を可能にする」
(マシュー・ファンダイク)
「今、私たちは困難な状況にある。何故なら私たちがマイノリティだからだ。そして私たちが身を守ることは非常に難しい」
「アメリカはISISに対抗する国際部隊のリーダーだ。私たちは、彼らがクルドのゲリラ部隊やイラク政府、ラマディのスンニ派部隊を助けたように、私たちを支援してくれるように頼んだ。アメリカは彼らを支援し、武装させている。なぜ、あなたがたはこれらのアラブ人部族を助けて、私達にはそうしてくれないのか?」
(NPU軍事委員会ディレクター:ゲバラ・ザヤ)
「私達には、私たちの土地を守り、聖地を保存し、習慣と伝統を維持する権利を持っている。私たちはジハード戦士にはならない。(国際社会は)ここにいるキリスト教徒だけでなく、ISILに転向しないヤジディも含めて少数派を支援することが大切だ」
「ニネヴェ平野の人々は長期戦のために塹壕を掘っている。この土地は私たちにとって聖なる土地だ。キリスト教徒にとっての聖地なのだ。私たちは、この地域に7000年住んできた。ここは私たちの土地であり、私たちはそれを守らなければならない」
(NPU当局者:カルド・オグハンナ)
「長い間」とファンダイクが述べているように、キリスト教徒であるアッシリア人が、この地で受難を受けるのは初めての事ではない。BC33年に東方アッシリア教会が建てられて以来、彼らはずっとこの地で生活してきた。しかし、後にムスリムが圧倒的多数を占めるようになり、平和的に共存した期間も長かった一方で、幾度となく悲惨な迫害にもさらされてきた。
第一次大戦中のオスマン・トルコによる大虐殺からフセイン体制のもとでの弾圧(Al-Anfal Campaign)に至るまで、彼らが通過してきた困難は、私達日本人には到底想像できない。そのような彼らが自衛の手段を持ちたいと切実に願い、それに応えようとSOLIが手を差し伸べたこと自体は無理からぬことだろう。
聖戦の応酬を回避せよ
一方で、NPUの結成が、その地域における宗教的な緊張を高めるという批判もある。その点に十分注意する必要があるのは間違いない。上記記事では、ミシシッピ州クリントンにある改革派神学校の准教授マイケル・マッケルビー博士のコメントも紹介しているが、その発言内容には一抹の不安を禁じ得ない。彼は以下のような論理でNPUやSOLIの活動を擁護している。
「そのキリスト教徒たちは、長い間、それらの地域で情け容赦のない虐げを受けてきた」
「聖書的な見方では、悪に対抗することは正しく善なることである。私たちの隣人を愛し、不当に虐げられている人の世話をするために行動することは、聖書も推奨していることだ」
「聖アウグスチヌスまで遡るキリスト教的伝統のすべての方法は、正当な正義の戦争と、不正に対して正しいことをするために踏み出すキリスト教徒の責任の概念を支持していた」
(マイケル・マッケルビー)
その手段が武力であるかどうかは別にして、不当な虐げを受けている人々のために立ち上がることは、絶対に必要な事である。しかし、それがキリスト教的動機に結び付けられることは、個人の内面においてはともかく、公的に発言された場合、事の性質上、非常にリスクを伴う。相手が「イスラム」の旗を掲げているだけに、その対抗軸に「キリスト教」を据えることは注意深く避けなければならない。
ISと戦うために、西側までもが宗教的な聖戦思想を持ち出すことが、どんな悲劇をもたらすか。その危険性は、十分に認識しておくべきだ。
改めて確認しよう。イスラム教徒とキリスト教徒が闘っているのではない。偏狭な過激思想を持ち非武装の市民を虐殺する者たちと、全人類が平和的に共存することを願う人々が闘っているのである。そして、真のキリスト教徒と真のイスラム教徒は、同じ後者の側にいるのだ。これを決して宗教戦争や文明の衝突にしてはならない。
従って、NPUも、名前の通り「ニネヴェ平原を防衛」する人々の部隊であり、宗教戦争を戦うキリスト教徒の部隊ではないことを明確にしておかなければならないだろう。
2015年2月27日
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