トランプ当選に果たした宗教票の役割

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~終わっていなかった「文化戦争」~

世界中の注目を集めた米国大統領選挙は、多くのメディアの予想を裏切り、ドナルド・トランプの当選で幕を閉じた。この選挙結果をめぐり、今後、様々な分析が行われるだろうが、ここでは、出口調査の結果などを踏まえて、特に両党の候補がトランプ、ヒラリー(前大統領と区別するためヒラリーと表記)に決定して以降の選挙戦において、宗教票が果たした役割に焦点を当てて考えてみたい。

まず、前提として理解しておくべき事実を整理しておこう。今回の選挙の前後で、米国社会に横たわる深刻な亀裂が盛んに紹介され、その責任の大部分がトランプの差別的、排外的発言にあるかのように報道された。しかし、これは事実と異なっている。米国社会の分断は、トランプの登場によってもたらされたものではない。むしろ、2000年代に入って修復できないほどに悪化した民主党と共和党、リベラルと保守の対立こそが、トランプの登場をもたらしたと言うべきである。この数年間で、米国社会における思想的、政治的な亀裂が、急速に深まっていったことは、様々な統計からも明らかである。

ピュー・リサーチ・センターの調査を見ると、今回の大統領予備選が始まる以前の2014年時点で、すでに、共和、民主両党の支持層で互いの相手側の党に対する嫌悪感が非常に高い水準に達していた。1994年当時、共和党が大勝した中間選挙の前後で両党の対立が熾烈を極めていた時ですら、民主党支持者が共和党を「非常に好ましくない」と考える割合は16%、共和党支持者が民主党を同様に考える割合は17%に過ぎなかった。それが2014年には38%と43%まで高まっている(1)。

そうした分断状況は宗教票においても無縁ではない。宗教票も、共和党を支持するブロックと、民主党を支持するブロックに大きく分かれており、その投票傾向は、数回の選挙を通じて固定的である。すなわち、プロテスタント(Protestant)、中でも白人の福音派(White-Evangelical)は、一貫して共和党支持であり、ユダヤ教(Jewish)、そのほかの宗教(Others)、無宗教(Non)は民主党支持である。問題はカトリック(Catholic)で、2000年以降の5回の選挙を見ると、2000年、2008年、2012年は民主党、2004年と今回(2016年)は共和党への支持が過半数となっている。そして、5回のうち4回は、カトリック票の動向が大統領選挙の勝敗と連動しており、いわゆる「スイング・ステート」に匹敵する重要性を持っている。

この記事で特に焦点を当てて考えてみたいのは、このカトリック票と、福音派の動向についてである。

福音派がトランプを見捨てなかった理由

まず、福音派の投票傾向を見ると、以前の共和党候補と比較して、より多くの票がトランプに投じられている。ただし、これまでの選挙と顕著な違いがあったとはいえず、安定して8割ほどが共和党候補を支持している。

むしろ、今回の福音派の投票行動において焦点となるのは「なぜトランプを支持したか」ではなく、「なぜトランプへの投票を控えなかったか」である。なぜなら、今回の選挙では、これまで、ほぼ一枚岩で共和党候補を支持していた福音派の指導層が、トランプ支持と不支持の真っ二つに分かれていたからだ。

二度の離婚歴があるのみならず、事前に噴出した女性をめぐるスキャンダルの数々は、当然のことながら福音派の人々の価値観に反するものだった。また、極端な排外的言動や、論争相手に対する挑発的な態度についても一部の福音派指導者から批判の声が上がっていた。

不支持を表明した人物の中には、福音派の最大勢力の一つ、南部バプテスト連盟の「倫理と宗教の自由委員会」のラッセル・ムーア委員長などが含まれていた。また、早くからトランプ支持を表明していたジェリー・ファウエルJrが総長を務めるリバティ大学においても、理事のマーク・デモスがトランプ批判をしたのちに役職を辞任する事件が起きた。彼は辞任の前に、ワシントン・ポストのインタビューに対して「侮辱に満ちたトランプの選挙運動はリバティ大学が重視する価値に反する」と答えていた。

また、トランプが女性を性的に侮辱する録音テープが流出した際には、南部バプテスト神学校のアルバート・モーラーJr.校長がCNNの番組に出演し「この選挙は米国民にとっての災難であり、米国の福音派にとっても耐え難い瞬間だ」と嘆いた。ヒラリーと民主党が「妊娠中絶への絶対的傾倒」で「生命の神聖性に脅威を与える」一方で、トランプは「私たちが自分の子供たちを近づけようと思わない」ような候補である。彼は、トランプに対して「まったく弁護の余地がない」と切り捨て、彼に対する公的な支持が「(福音派の)道徳的な信ぴょう性をむしばむ」ことを慎重に考慮するよう呼びかけた(2)。

こうした福音派指導層の分断状況を見ると、明らかにリベラルなヒラリーに投票しないまでも、トランプへの投票を控える人々が一定数現れたとしても不思議ではなかった。実際に、2016年9月にバルナ・グループが行った世論調査では、福音派のうち10名中4名が、投票先を決めかねており、8名中の1名は、第三党ないしは独立系の候補に投票すると答えている。この結果を受けて、バルナ・グループは「もし今日、選挙が実施されたら、福音派の票は過去5回の選挙における共和党候補へのそれよりも、少なくとも20%低いだろう」と予測した(3)。

しかし、結果を見ると、福音派の人々は、これまでと変わらず活発な投票行動を見せ、全米での投票シェアもほとんど変わらず、その中で共和党候補に投票した割合は、ここ数年で最も高い水準となった。ピュー・リサーチ・センターがまとめたデータによると、白人のボーンアゲイン、あるいは福音派の投票に占める割合は過去2回(2008、2012)と同じく26%であり、そのうちトランプへの投票が81%を占めた。これは、2004年78%、2008年74%、2012年78%と比べて最も高い数字となっている(4)。

そこにはトランプ氏の人間性への好悪を越えた、文化戦争における強い危機感があったと想定される。8年間のオバマ時代、特にその後半4年間は福音派にとって悪夢のような時代だった。同性婚が全米で合法化されたばかりでなく、その前後で、同性婚へのサービスを宗教的な理由で辞退した花屋やカメラマンが、有罪とされ罰金を科される事件が相次いだ。彼らは、神のもとの一つの国に住んでいると思っていたのだが、気が付くと、キリスト教的な信条に基づいて発言し行動することが、「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」によって不適切とされ、職を失ったり、訴訟に直面しかねない事態となってしまったのである。

実際に、この数年間で米国社会が反宗教的傾向を強めたと実感している福音派の割合は激増している。ライフウェイ・リサーチの調査によると、「今日のアメリカで、キリスト教徒はますます不寛容に直面している」と感じている割合は、2013年の50%から2015年には63%と、わずか2年間で急増しており、中でも福音派プロテスタントでは82%という非常な高率となった(5)。宗教が迫害され、弾圧されていると感じる場合には、急進化、過激化することが知られている。もちろん、高度な民主社会に住む彼らがとるべき反撃の武器は銃や爆弾ではなく、選挙における投票である。彼らにとって共和党候補を勝利させることは、自らの生存権をかけた絶対的な命題だったのである。

最も象徴的な論点は、言うまでもなく「最高裁判事の任命」である。もし民主党政権が3期目に入れば、昨年(2016年)1月に亡くなった保守派のアントニン・スカリア判事の後任をリベラル派で占められ、その任期中に訪れるであろう二人目、三人目の交替時にも、同じくリベラル派の判事を任命される恐れがある。そうなると、公立学校での祈祷禁止(1962)や中絶合法化(1973)など、最高裁がリベラルな判決を繰り返した1960~70年代の再現となり、最高裁におけるリベラル派支配が半恒久的になる恐れがある。それを防ぐという一点で、彼らには共和党候補に入れる、という一択しかなかったのである。

トランプは「現代のキュロス王」である

福音派に文化戦争への強い危機感があったとはいえ、彼らは、トランプ氏が抱える数々のスキャンダルや、キリスト教徒らしからぬ差別的な言動については、どのように折り合いをつけたのだろうか。ここには福音派や、のちに述べるカトリックを問わず「にもかかわらず(消極的支持)」と「だからこそ(積極的支持)」という二通りの支持が混在している。

まず、消極的な支持は、よく言われるように、ヒラリーや民主党の候補者に入れるよりはまし、という対立候補への嫌悪感が一つである。投票理由として「対立候補が嫌いだから」を挙げた人(25%)のうちトランプに入れた割合は51%(NBC出口調査、ヒラリーは39%)となっており、トランプ票の約1/4を消極的な支持が占めていることになる。このような人々の中には「まず、ヒラリーを落選させよう。そして、選挙後すぐに弾劾を通してトランプを辞任させ、ペンスを大統領に昇格させよう」との主張もあったほどだ。

消極的な支持におけるもう一つのタイプは、トランプの信仰心には疑問を覚えるし、人格的にも好ましくないと感じるが、「キリスト教徒の利益を守ってくれるならば良きキリスト教徒でなくても構わない」と考える人々である。

この論理は、しばしば、ユダヤ人を囚われの立場から解放したペルシャ王キュロスの故事からインスピレーションを得ている。つまり「大統領は宗教指導者ではない。従って、信教の自由とキリスト教的価値観を、リベラル勢力から守ってくれることこそが重要であって、大統領個人が信心深いかどうかは関係ない」というのが、その基本的論理である。実際に、旧約聖書の故事によれば、バビロニアによって神殿を破壊され、捕虜となったユダヤ人を解放し、神殿の再建を承認してくれたのは、ユダヤ教徒ではない異教徒のペルシャ王だった。神は、しばしば異教徒を立てて、そのみ旨を成就されることがある。それがトランプだというのである。

これは、積極的な支持者にも共通した論理である。その場合、彼らは、トランプの常識や前例、「ポリティカル・コレクトネス」にとらわれない主張をむしろ歓迎する。実は、福音派は、共和党の歴代大統領をはじめとする政治家に根強い不満を持ってきた。その理由は、選挙、特に共和党予備選挙の際には、福音派の票を当てにして右寄りの姿勢を鮮明にするものの、本選や、それに続く任期中には、むしろ中道寄りの妥協的な政策を取り、十分に福音派の願望を満たしてくれなかったからである。福音派の人々は、その原因を、政治資金を始め選挙運動を既存のエスタブリッシュメント層に頼っている政治家たちの、ロビイングに対する弱さにあると考えている。従って、そうした支援を必要としないトランプこそ、力強く自分たちの望む政策を推し進めてくれる「強いキュロス王」になり得ると考えたのだ。宗教系サイトで紹介された一連のコメントが、そのあたりの心理を表している。

「私は、最高の牧師ではなく、最高司令官を探しているのだ。アメリカを再び豊かで安全な軌道に戻すために…(中略)…なすべきことを実行できる人物を」
「真剣に、私たちが過去7年間に経験してきたことを考えてみてほしい。…私はドナルド・トランプを大統領に投票するだろう。私は、彼がロビイストによって曲げられることがなく、アメリカ国民のために正しいことをしてくれると信じている」
「候補がキリスト教的価値を持っていれば、それは非常に良いことだろうが、それは大統領職のために準備するものではない。率直に言って、私はトランプが困った奴かどうかは気にもかけない。彼が私たちを安全に保つなら、私にはそれがすべてだ。彼は、特定の利益団体やロビイストにコントロールされない唯一の人物だ」(6)

フランシスコ教皇とカトリック票の動向

次にカトリック票の動向について考えてみよう。実は、当初、多くのメディアや評論家によって、カトリックは、ヒラリー支持が過半数を占めるだろうと予想されていた。それは実際の世論調査によっても裏付けられており、7月の時点で56%対39%でヒラリーへの支持が多数を占めていた(実際の投票結果は45%対52%でトランプ支持が上回った)。ヒラリー陣営でも、カトリック票の重要性は十分認識しており、副大統領候補にはカトリックのティム・ケインを指名している。メソジスト信者であるヒラリー自身も、自らが敬虔な信仰の持ち主であるとアピールすることに余念がなかった。このように、ヒラリー陣営がカトリック票に期待を抱いた理由はいくつか挙げることができる。

まず、トランプには、移民問題においてフランシスコ教皇から非難されるというマイナスポイントがあった。「メキシコとの国境に壁を築く」と主張したトランプに対して、教皇は「壁を築く者はキリスト教徒ではない」とトランプを名指ししないまでも明確に批判したのである。また、2016年は教皇が「慈悲の聖年」と定めた特別な年でもあり、あらゆる人種、階層を問わず、すべての罪や負債を抱えた人々に、神の愛と慈悲を示すべきだと奨励されていた。そうした教皇のメッセージと、トランプの選挙中の差別的発言とが相容れないことは言うまでもない。

また、これまでカトリックの半数近くを共和党につなぎとめてきた大きな要因は、同性婚や中絶問題をめぐる文化戦争だったのだが、フランシスコ教皇は、前任のヨハネ・パウロ二世、ベネディクト十六世と比較して、文化戦争にはそれほど積極的な姿勢を示していない。むしろ、離婚再婚者や同性愛者を抱えた両親など、これまで教会から疎外されてきたと感じる人々に寛容さを示し、貧困者など社会的弱者に積極的に手を差し伸べることを強調する。このような教皇の姿勢は、共和党よりも民主党の政策と親和性が強いのではないかとすら見られていた。

実際に米国カトリック教会に対する主要な人事を見ても、これまで文化戦争で中心的な役割を果たしていた保守強硬派のレイモンド・バーク枢機卿などが冷遇される一方で、より融和的な姿勢を取る穏健派が重用される傾向があった。実は、信者レベルで見ると米国カトリックの文化戦争に対する態度は福音派ほど鮮明ではない。2016年の時点で同性婚に対する支持も、福音派が27%にとどまっているのに対して、カトリックは58%と支持が過半数に達している(7)。中絶についても多くのケースで合法と考える割合が54%(福音派28%)と、やはり過半数を超えている(8)。従って、米国教会における人事も、文化戦争に熱心な一部聖職者と一般信者とのギャップを埋める意図を含んでいる可能性がある。

しかし、これはよく誤解される点だが、フランシスコ教皇は、文化戦争への過度な傾斜については否定的だが、決して文化的な戦い自体を否定しているわけではない。伝統的な教理、教義についても変更しないと明言しており、男女の区別を曖昧にし、一夫一婦の結婚制度を脅かすような動きに対しては「イデオロギー的植民地主義(the ideological colonization)」として強く批判している。もちろん、中絶についても、人間の生命が「受胎から自然死に至るまで」尊重されるべきという立場から、明確に反対の姿勢を取る。従って、離婚再婚者や貧困者などへの寛容な姿勢は、より伝道を積極的に推し進め、神の愛と慈悲の門戸を万民に開くための司牧的な配慮として推奨されているのであり、「罪は罪である」という言葉からも分かるように、キリスト教的倫理を尊重する基本的な態度に変更はない。

この教皇の高度に複雑なメッセージは、カトリック教会内でも未だ正確に浸透しているとは言い難く、保守派、リベラル派双方が、自らに都合の良い解釈を加えているというのが現状である。また、教皇は、当然のことながら外国の選挙に介入する姿勢は見せておらず、トランプの発言に懸念を示したものの、決してヒラリー支持を推奨しているわけではない。米国の有権者へのメッセージを依頼された際には「一人に難点があり、もう一人にも難点があるがゆえに、困難な選択」だと答えている。従って、フランシスコ教皇の、一見すると進歩的に見えるアプローチは、カトリックの投票動向にそれほど大きな影響を与えていないというのが実際のところであり、ヒラリー側の期待は過大であったと言うべきだ。

「反カトリック」的なヒラリー陣営への不信

むしろ、カトリック内の、特に保守派にとっては、今回の選挙はこれまで以上に文化戦争の意味合いが強かったと言えるだろう。もともと米国においては、カトリックと、プロテスタントである福音派とは対立関係にあったのだが、近年、同性婚や中絶問題を巡って、カトリック保守派と福音派は協力関係を強めている。その意味で、福音派が持っていた深刻な危機意識は、カトリックの保守派においても同様に共有されていた。特に、カトリックが重視する中絶問題については、再び最高裁で争点となる可能性が高く、保守派の判事の任命は、カトリックにとっても最重要事項の一つであった。

その点で、ヒラリー側には不利となる失点がいくつか存在した。まず、カトリック票の掘り起こしを期待して指名されたであろう副大統領のティム・ケインが「中絶の支持者」として、カトリック保守派から不興を買ったことが挙げられる。彼は個人的には中絶に反対であるとしながらも、2012年の上院議員就任以来、完璧に中絶支持の投票行動をとっている。彼は、自分個人の信仰的立場と政治的な立場は異なると語り、「生殖や性行為、避妊などは個人的な決定の領域であり、政府が干渉すべきでない」と自らの立場を説明したが、カトリック保守派からは、詭弁でありダブルスタンダードだと批判された(9)。この問題についてはヒラリー自身も、妊娠後期の中絶規制にすら反対したとして、討論会などで生命軽視だと攻撃を受けている。こうした事実は、トランプ個人の人格や発言への懸念によって、保守派の票がヒラリー陣営に流れることを防ぐ大きな要因となった。

そして、更に致命的だったのは、ヒラリー陣営の選対幹部のEメールのやりとりで展開された、あからさまなカトリック教会批判である。ウィキリークスによって暴露されたそれらのメールには、保守派のみならず、カトリック教会全体からの批判を呼び起こしたという意味で、その直前のトランプの女性蔑視の録音テープ事件をかき消すほどのインパクトがあった。

ヒラリーの選挙チームの一員であるサンディ・ニューマンは、ジョン・ポデスタ選対委員長にあてたメールの中で、保守的な思考をもつ司教たちを侮辱し、「カトリック信者自身が、教会内の中世的独裁を終わらせ、民主主義とジェンダー平等の尊重を要求する『カトリックの春』を起こすべきだ」と書き、カトリック教会のヒエラルキーを、アラブの春で倒された独裁政権と同列に並べた。更にジョン・ハルピンも、カトリックの保守派を「誰にも分らない難解な言葉を使って、洗練されたように見せかけている」と軽蔑した。

これには、USCCB(米国カトリック司教協議会)会長という公的立場のゆえに、大統領選挙への言及を控えていたジョセフ・E・クルツ大司教ですら、深い懸念を示す声明を発表したほどだ。「もし真実であるなら、これは、信仰コミュニティの幸福と、私たちの国の利益の双方にとって困ったことだ。…キリストの真理は決して時代遅れではない」と語ったクルツ大司教の声明は、選挙直前の日曜日に多くのカトリック教会に張り出された。

更に、このEメール事件は、カトリック教会を失望させただけではなく、それまで民主党を支持していた黒人プロテスタントの牧師や信者たちにも影響を与えた。10月31日には、ジャクリーン・リバースに率いられた黒人の信仰コミュニティの著名な指導者たち20名以上が署名した「ブラック・アメリカのための宗教の自由に関するヒラリー・クリントンへの公開書簡」がヒラリー陣営の選対本部に届けられた。(10)

彼らは、その多くが民主党を支持する牧師たちだったが、その書簡の中で、ヒラリー陣営の「中絶」や「宗教の自由」、更には「LGBT」の権利擁護運動に対する姿勢に対して、深刻な懸念を表明した。選対本部の中心的メンバーによる「宗教蔑視」とも取れるやりとりは、本来、民主党の支持基盤であるはずの黒人コミュニティにも負の影響を与えてしまったのである。

今回、ヒラリーは黒人票も減らしてしまったが、接戦州における事前投票でも、黒人たちの出足は鈍かった。そうした黒人有権者の熱意の不足も、一つには、この公開書簡で黒人教会の牧師たちが示したような懸念が「一役買っているかもしれない」と、このプロジェクトを主導したリバースは説明した(11)。

ちなみに、この動きの中心となったジャクリーン・リバースは、結婚や家庭などの道徳的な問題をめぐってのプロテスタントとカトリックの連携で重要な役割を果たしている人物である。オバマ、ヒラリーへと受け継がれるリベラルな傾向に対しては、教派の違いを超えて不信感が広がっていたのだ。

カトリック系諸団体を脅かしたオバマ政権への反感

更に、オバマ政権によるLGBT問題を中心とした介入的な姿勢が、保守派のみならず、カトリック系の教育機関、医療機関、福祉団体などの幅広い層に、民主党政権が続くことへの警戒感をもたらしたことも見逃せない。既に、同性婚合法化の最高裁判決が出る以前から、この問題はカトリック系の諸機関に様々な負の影響を及ぼしていた。

いくつかの州では、養子縁組の際に、養父母として同性愛カップルを除外することが禁止され、カトリック系の養子縁組団体が活動停止を余儀なくされた。カトリック系の学校では、同性愛者の教員を採用するか否か、講義中に同性愛を罪だと教えることが適切か否か、ということが論議されるようになった。なぜなら、学校運営に不可欠な連邦政府や州政府からの補助金が、差別的な教育を行っているとして打ち切られる恐れが出て来たからだ。

更にカトリック信者の子弟も多く参加するボーイスカウトにおいて、同性愛者を公言する人物をリーダーとして受け入れる方針が決定された。この方針に対しては、当然のことながら福音派、モルモン教などから大きな反発の声があがったが、カトリック教会も控えめながら懸念を表明した。公式に発表された声明の中では「『同性愛の指向を持つ』人物は受け入れるが『同性愛行為を実行している』人物は除外されるという趣旨だと理解している」と記されており、決して全面的に賛同していないことは明らかだ。

それに加えて、2016年5月13日には司法省と教育省が連名で、トランスジェンダーの生徒について、本人が自認する性別のトイレを使えるように、全国の公立学校に指示する通達を出した。また同日付で健康福祉省からは、医療現場での性差別を禁じるとの趣旨で、すべての医師にトランスジェンダーへの性別移行処置を実行することを促し、民間の保険会社などに性転換手術やホルモン治療への保険適用を義務付ける新しい規則が公表された。双方とも、連邦政府と反発する各州政府との間の訴訟に発展し、特に後者は「医師の宗教の自由が侵害される」として、カトリック系の医療グループが原告団の中心となった。

このようなオバマ政権の動きは、カトリック系の諸団体の活動に直接的な脅威を与えるものであり、その後継者とみられるヒラリー候補への懸念に現実的な裏付けを与えた。そこに、大統領選直前のEメール事件が更なる確証を与えてしまったのである。

トランプ陣営の宗教票対策

トランプ陣営は、投票日の直前まで、様々な方法でカトリック保守派の票に猛烈なアピールを行った。トランプは、8月に三人目の選挙対策の責任者としてケリーアン・コンウェイを任命しているが、彼女は、もともと福音派のテッド・クルーズ候補の選対責任者を務めていたことでも分かるように、宗教保守層が持つ民主党政権への強い不満を熟知していた。クルーズ選対時代には中絶を容認するトランプの過去の発言を攻撃したこともあるほどだ。彼女は「祖母、母、叔母など四人のカトリック女性に囲まれて育った」とアピールするなど、女性票に加え、宗教票を強く意識した選挙戦略を指南する役割を果たしたと考えられる。

選挙終盤、トランプはカトリック系の政治団体やカトリック指導者に手紙を送り、カトリック諮問委員会の任命を約束し、カトリック系メディアに出演するなど、カトリック重視の姿勢を鮮明に打ち出した。そして、それらの手紙や発言における基本的なスタンスは一貫している。つまり「オバマはリベラルな価値観を強制することによって、カトリック系の学校、病院、慈善団体の活動に制限を加える反カトリック的な政策を行った。ヒラリーが当選すれば、その状況はもっと悪くなるだろう。しかし、修正第一条に定められた宗教の自由は、米国において最も重要な権利だ。私が大統領になれば、それを最優先で守ることを誓う。そして、必ず、妊娠中絶に反対する最高裁判事を任命することを約束する」というものだ。(12)

こうしたスタンスは、前節に述べたようなオバマ政権の政策に苦しんだ保守的なカトリック信徒にとっては、非常に強い訴求力を持ったはずだ。現実に、教育、医療、慈善事業などの分野で、彼らの信仰は「ポリティカル・コレクトネス」によって要求されるリベラルな方針によって強い制限を受けるようになっていた。彼らにとっても、トランプは抑圧からの解放をもたらす「キュロス王」に見えたのである。10月に入ってからの録音テープ事件によって、一旦は支持を落としたものの、Eメール事件をはじめとするヒラリー陣営の敵失は、民主党政権の反宗教、反カトリック的な性格に対する不安を確信に変え、トランプ個人への嫌悪感を取るに足りないものにしてしまった。

結果として、カトリック票の獲得はトランプの勝利を決定づけた。カトリック票についての出口調査を見てみよう。前回2012年の選挙ではオバマがロムニーに対して2ポイント上回っていた(50%対48%)が、今回はトランプ52%、ヒラリー45%と、トランプが7ポイントも上回った。これは、同様に文化戦争が焦点となった2004年選挙のブッシュ対ケリー(52%対47%)をも上回る大きな勝利だ。ちなみに2008年にはオバマがマッケインに9ポイント差(54%対45%)をつけており、2008年から比較すると両党への支持がプラスマイナスで16ポイントも移動したことになる(民主党側から見て、[+9pt]→[-7pt]への変化)。

特に「スイング・ステート」と呼ばれる接戦州においては、有権者の3割近くを占めるカトリック票がこれだけ共和党側に移動したことの意味は大きい。もともと民主党が圧倒的に強い州で票を上積みしただけのヒラリーに対して、トランプは接戦州における僅差の勝利を重ねた。これらの州では特定の団体の支持を失うことは、まさに致命的な傷となる。

実際に、もしカトリック票の動向が、前回2012年並み(共和48%対民主50%)だったと仮定して、接戦州における結果がどう変化するかを試算してみよう。各州ごとのカトリック票の割合は不明だが、接戦州はノースカロライナを除き、カトリック信者の割合が全米平均を上回っているため、全米並みの23%をそのまま適用して計算する。計算の結果は、フロリダ(選挙人29人)、ペンシルバニア(20人)、ミシガン(16人)、ウイスコンシン(10人)の四州でヒラリーがトランプを逆転し、全米での獲得選挙人数も307対231でヒラリーの圧勝となった。

ヒラリーは、当初カトリック票において保持していたリードを生かすことが出来なかった。7月の調査では、カトリックは実に17ポイント差(56%対39%)でヒラリーを支持していたのである。これは、前回2012年を遥かに上回る数字であった。彼女は、カトリック票における優位を保ってさえいれば、トランプに敗北することはなかったのだ。

おそらく7月時点の大幅なリードには、国境の壁建設にまつわる教皇のトランプ批判が影響していただろう。しかし、トランプ陣営が文化戦争をめぐって民主党批判に注力した、その後の約4か月間で、カトリックは完全にヒラリーに背を向けてしまった。ヒラリーは、トランプとは対照的に、カトリック票の不興を買う致命的な失点を重ね、勝てる選挙を落としてしまった。

言うまでもないことだが、巷間語られているように、ラストベルトにおける労働者階級の不満など、トランプ当選には、他にも様々な要因を指摘できるだろう。しかし、文化戦争における民主党政権継続への強い危機感が、福音派、カトリック保守派の結束を促し、トランプ当選の大きな原動力となったことには疑いの余地がない。宗教票が期待したように、トランプが「現代のキュロス王」になるかどうかは、定かではない。彼らが「信仰の擁護者」を選んだのか、それとも「暴虐の異教徒」を選んだのか、それは今後の4年間を見なければわからない。

しかし、この選挙戦における功績によって、宗教保守が一定の果実を得ることは確かなようだ。ゲイ・パレードを支持したオバマとは異なり、トランプ政権幹部は1月に行われたプロ・ライフ(妊娠中絶反対)派のデモに、こぞって祝辞を送った。連邦最高裁判事には保守派のニール・ゴーサッチが任命された。2月2日に行なわれた全米朝食祈祷会では、大統領が「宗教家による政治的言動を制限するジョンソン修正条項を完全に撤廃する」と発言した。もちろん、これらは議会での承認が必要な案件だが、こうした宗教保守派を喜ばせる一連の言動を見ても、トランプ政権が、大統領選挙における宗教票の多大な貢献を実感していることは間違いないだろう。
 
 
 
 
(1)“Political Polarization in the American Public”. Pew Research Center. June 12, 2014
http://www.people-press.org/2014/06/12/political-polarization-in-the-american-public/
(2)S. Craig Sanders . “Evangelical support of Trump destroys ‘moral credibility,’ Mohler says on ‘CNN Tonight’”. Southern News. Oct 12, 2016

Evangelical support of Trump destroys ‘moral credibility,’ Mohler says on ‘CNN Tonight’


(3)“The Faith and Ideology of Trump and Clinton Supporters”. Barna. October 10, 2016

The Faith and Ideology of Trump and Clinton Supporters


(4)Gregory A. Smith & Jessica Martìnez. “How the faithful voted: A preliminary 2016 analysis”. Pew Research Center. Nov 9, 2016

How the faithful voted: A preliminary 2016 analysis


(5)“American Views on Intolerance and Religious Liberty in America”. Lifeway Research. 2015
http://lifewayresearch.com/wp-content/uploads/2016/03/American-Views-on-Intolerance-and-Religious-Liberty-Sept-2015.pdf
(6)Libby Anne. “Why Evangelicals Support Trump”. Patheos. Feb 21, 2016

Donald Trump as Cyrus the Great


(7)“Changing Attitudes on Gay Marriage”. Pew Research Center. May 12, 2016
http://www.pewforum.org/2016/05/12/changing-attitudes-on-gay-marriage/#attitudes-on-same-sex-marriage-by-religious-affiliation
(8)“Public Opinion on Abortion”. Pew Research Center. Apr 8, 2016
http://www.pewforum.org/2016/04/08/public-opinion-on-abortion-2/
(9)Rebecca Downs. “Is Tim Kaine’s abortion position consistent with his Catholic faith?”. Live Action News. Aug 11, 2016
http://liveactionnews.org/tim-kaine-abortion-catholic-faith/
(10)Billy Hallowell. “Black Pastors Set to Deliver ‘Surprise’ to Hillary Clinton’s Campaign Headquarters on Halloween”. Faithwire. Oct 31

Black Pastors Set to Deliver ‘Surprise’ to Hillary Clinton’s Campaign Headquarters on Halloween


(11)Bradford Richardson. “Black faith leaders reproach Hillary Clinton on religious freedom as enthusiasm chills”. The Washington Times. Oct 31, 2016
http://www.washingtontimes.com/news/2016/oct/31/black-faith-leaders-reproach-hillary-clinton-on-re/
(12)“Donald Trump’s letter to CatholicVote”. Catholic Vote. Oct 6, 2016

Donald Trump’s letter to CatholicVote


(13)”Election 2016″. The New York Times. Feb.10, 2017, 4:38PM ET.
http://www.nytimes.com/elections/results/president

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