孔子と儒教のいびつな帰還(New Yorker)

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『The New Yorker』に中国における儒教の現在についての記事があった。今年1月13日のものだが、興味深かったので内容を簡単に紹介する。

Evan Osnos. “Confucius Comes Home”. The New Yorker. Jan 13th, 2014

長く北京に在住し、中国人の生活に密着したレポートを発信しているエバン・オスノスは、急激な経済成長の裏面として生じた「精神の空白」を如何に埋めるかが、現代中国の大きな課題だと述べている。当然、当局としてはチベット仏教やキリスト教(特に公認されていない地下教会)、更には「全能神」などの過激な終末信仰などが発展することを望まない。そこで官制宗教として積極的に推奨されているのが「儒教」である。

これを歴史の皮肉というのだろうか。もともと既成の秩序や体制に対するアンチテーゼこそが共産党の存在意義だが、中国において共産党は、既に立派な「体制」であり非常に強固な権力機構である。彼らはもはや「革命の前衛」ではないし、逆に革命など起こってもらっては困る。「2002年に党は公式的に自らを『革命政党』と呼ぶことをやめ『政権政党』という言葉を採用した」とオスノスは指摘する。

そこで登場したのが「儒教」である。斉の景公に政治のなんたるかを問われて「君君たり、臣臣たり。父父たり、子子たり」(『論語』顔淵12-11)と答えた孔子の言葉ほど、共産党指導部にとって都合のいいものはないだろう。オスノスは習近平の前任者である胡錦濤と温家宝の言葉を引用する。「温家宝は『統一と安定性(Unity and Stability)は、他の何ものにもまして重要である』と宣言した。2005年2月には党主席の胡錦濤が『調和(Harmony:和諧)は大切にされるべきものである』という孔子の観察を引用した」。

孔子は「毛(沢東)のより穏やかな身代わりとして、世界舞台にあがるアバターとして」も利用された。「過去10年間、中国は言語、文化、歴史を教えるために、世界中に400以上の孔子学院を開設した」。しかし、中国共産党は孔子の末裔ではない。毛沢東の直系である。その毛沢東は文化大革命の際に儒教を徹底的に迫害した。中国が世界に展開すべきは「毛沢東学院」ではないのか。

「毛主席は『永久革命』を信じており、1966年文化大革命を始めた時、彼は若い紅衛兵に、四つの古いものを破壊せよ、と熱心に説いた。それは古い社会的慣習、古い文化、古い個人的習慣、そして古い思想だ。熱狂者たちは孔子を、犯罪分子、右派、怪物、異常者を育てていると非難し、毛の副官の一人は、孔子の墓を掘り起こすことを承認し、数百の寺院が破壊された」。

オスノスは、文化大革命を象徴する一つの例として、老舎(Lao She)の自殺を挙げる。中国人の中でノーベル文学賞に最も近いと言われるほど尊敬を受けた老舎もまた、紅衛兵たち(14~15歳の女子学生と言われる)から孔子廟の表門に引き出されて殴る蹴るの乱暴を受ける。その翌日、彼は湖に投身自殺をするが、一説には当局から暗殺されたとも言われている。

オスノスは、老舎の息子を探し出してインタビューをする。そして彼自身がその隣に住んでいる孔子廟に戻り、役人に向かって、孔子廟の歴史を書いたパンフレットに、なぜ「老舎の悲劇が書いていないのか?」と詰問する。

その迫害の舞台となった孔子廟では、現在、党の指導によって盛大なフェスティバルが行われている。また、孔子の故郷「曲阜」はエルサレム、メッカになぞらえられて「東洋の聖都」と名付けられ、年間440万人の観光客が訪れている。中国では「歴史の解釈は穴(holes)を伴う。音楽が沈黙に至り、また何事もなかったかのように再び始める時のレコーディングにおける欠落のように」。

しかし、このように都合のいい扱い方は、そもそも宗教には似合わない。「孔子廟のそばに長く住むほど、私は人々がそれに願うものとそれが提供するものとの間にギャップがあるのを、より感じるようになった。中国人は、国家の学問の聖地であるその霊廟に、何らかの道徳的な連続性を探求するために訪れる。しかし、それは滅多に与えられなかった」。

孔子を現代風にアレンジした于丹(Yu Dan)は、一世を風靡したが、党による歓待を受けた後、彼女は政治的な文脈で古典を語るようになる。「無制限の可能性は、混沌につながります。なぜなら、あなた方はどこに行くべきか、何をするべきかを知らないからです」「私たちは問題を解決するために厳格な体制に依存しなければならない。市民として私たちの義務は必ずしも完璧な道徳的な人間になることではなく、善良な市民になることである」と、オスノスは于の研究室を訪れた時に彼女が発した言葉を紹介する。これは、孔子というよりは、荀子から韓非子に至る法家思想を連想させる。

体制による、このような儒教の便宜的な押し付けは、人々の「精神的空白」を癒すよりも、むしろ息苦しさをもたらし始めている。2012年11月、北京大学で中国歌劇の公演後に于が舞台に現れた時、学生たちは彼女を野次って退席させた。当局が必死に儒教を売り込む一方で、人々はキリスト教の地下教会や、チベット仏教などに心を奪われる。

当の孔子はどう感じているのだろうか。オスノスは北京大学教授の李玲(Li Ling)の『野良犬、「論語」私見』を引用する。「実際に生きていた真実の孔子は、賢人でも王でもなかった。…彼は権力も地位も持たず、道徳と学識だけを持ち、彼の時代の権力エリートを勇気をもって批判した。彼は自らの政策を売り込むために旅をし、彼の時代における統治者たちの問題解決を助けるために知恵を絞った。そして常に、彼らが悪なる道を放棄し、より公正であるように説得しようと試みた。彼は苦しめられ、憑りつかれたように歩き回り、彼の考えを採用するよう嘆願した。それは賢人というよりは、野良犬のような姿だった」。

2010年、中国で長く収監されている劉暁波(Liu Xiaobo)にノーベル平和賞が与えられた。これに反発する形で同年12月に創設された「孔子平和賞」は、翌年「ロシアの安全と安定性をもたらした」としてウラジミール・プーチン露大統領に授与された。しかし、李が書いた孔子の姿を思えば、劉暁波こそがその受賞に値したのかもしれないと考えさせられる。

2000年以上にわたる中国人と孔子の関係は、この後、どんな展開を見せるのだろうか。

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