中国の未来とキリスト教

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先月末、メディアをにぎわせた話題と言えば、アジアインフラ投資銀行の参加問題だろう。英国をはじめ欧州各国がこぞって参加を表明したこともあり、世界経済における中国の存在感の大きさが改めて示された形だ。勿論、ガバナンスの在り方など問題は山積みであり、これがIMFや世銀、アジア開発銀行等の米国を中心とした既存の枠組みを脅かすものになるかどうかは、まだまだ不透明である。そのあたりの不安もあるのだろう。メルケル首相が安倍首相に日本の参加を促す電話をかけたという情報も出てきた。

中国が、今後、世界でどのような役割を担うことになるのか、経済統計一つとっても信頼性に欠けるため、正確に予測することは難しい。また、このブログの目的は政治経済の分析ではなく、宗教ないしは文化的な視点の提供であるため、今日は、主に中国の宗教事情、特に近年、成長が著しいキリスト教をめぐる状況について取り上げてみたい。
 
 
中国の宗教政策の変化とキリスト教の台頭

中国は公式的に無神論を掲げる共産党の一党独裁体制であるため、宗教は原則として国家の管理下にある。1949年、国民党が台湾に敗走して共産党が政権を取った後、あらゆる宗教が苦難の時期を通過した。イスラム、キリスト教は言うにおよばず、儒教なども封建体制を正当化してきたとされ、批判と弾圧の対象となった。道教、仏教も含めてあらゆる宗教が、唯物論の立場に立つ共産党から、民衆を惑わす荒唐無稽な作り話として排斥された。また、言うまでもなく1966年~1976年の文化大革命の時期には、儒教に対する常軌を逸した撲滅運動をはじめとして、宗教弾圧の嵐が吹き荒れた。

風向きが変わり始めたのは、やはり鄧小平を中心とする改革開放政策が始まった時期だ。当時の米国大統領ジミー・カーターと鄧小平が交わした会話の中に、その時期の中国のスタンスがよく表れている。カーターによる「キリスト教の解禁、聖書出版の自由化、宣教師の受け入れ」という三つの提案に対して、鄧小平は最初の二つを認め、外国からの宣教師の受け入れは拒否した。つまり、経済発展に向けて西側の協力を取り付ける目的で、宗教の自由化のスタンスは取るが、実質的に宗教を統制する方針は変えない、ということだ。あくまでも宗教は共産党の目的を追求するための道具、ツールの一つという位置づけであった。

しかし、人間の本性と宗教とは密接に結びついており、10億にも上る人々の心を完全に統制することなどできはしない。中でも、近年、当局が予期しなかったほど急成長を遂げているのがキリスト教だ。公式統計が存在しないので、キリスト教徒の正確な数はつかめない。ただし、いくつかの研究によれば、その数は、少なく見積もっても5000万人程度、おそらくは共産党員の数(8700万人)に匹敵するというのが、ほぼ一致した見方である。パデュー大学の楊鳳岡教授によれば、このままの成長が続くと2030年ころには中国のキリスト教人口は2億5000万人に達し、アメリカを越えて、世界最大のキリスト教人口を持つようになるという。

こうした事態は、当然のことながら、第二、第三の法輪功、ないしは清国を倒した「太平天国の乱」の再現を恐れる当局の懸念をひきおこしている。ただでさえ、これまで共産党の求心力を保証してきた経済発展が減速している状況の中で、習近平政権は思想の引き締めに躍起になっている。著名なジャーナリストや学者の拘束も相次いだが、キリスト教も例外ではない。
 
 
習近平政権によるキリスト教弾圧政策

キリスト教に対する習近平政権の姿勢をうかがわせる事件が昨年4月に起きた。浙江省温州市で起きた、三江教会強制撤去事件である。立ち並ぶ十字架の多さと100万人を超えるキリスト教人口から、温州は「東洋のエルサレム」と呼ばれていた。その都市に建設中であった三江教会は、完成すれば2000名を収容する能力を持ち、その十字架が街のランドマークになるはずだった。このキリスト教徒にとっての象徴的な建造物を、地方当局は、建築基準に違反するとして取り壊すことを決定した。

取り壊しの際には、近隣の教会からの参加者も含め、多数のキリスト教徒が教会を取り囲み、治安当局との衝突で多くの逮捕者が出た。これは表向き、地方当局の決定であり、取り壊しの理由も宗教的理由ではなく「建築基準への違反」が挙げられている。明らかに「宗教弾圧」との批判を避けるための巧妙な策略だ。

例えば『クリスチャン・サイエンス・モニター(以下、CSM)』では同じ浙江省の鼓楼教会(杭州市)のケースを挙げている。この教会には、昨年1月、突然、当局者が現れて十字架の撤去を告げた。その理由として挙げられたのは高速道路近くの十字架が運転の危険になるということであり、8月7日、実際に十字架は撤去された。しかし、その後、高速道路から離れた教会の十字架も次々に撤去され、あわせて400以上の教会が冒涜されたという。明らかに建築基準や安全確保というのは口実にすぎず、内実は宗教迫害だ。

Robert Marquand. “In China, a church-state showdown of biblical proportions”. The Christian Science Monitor. Jan 11, 2015

更に、冒頭にあげた三江教会を始め、今回、広く弾圧の対象とされた中には、非公認の地下教会だけでなく「三自愛国教会」(外国の干渉を排し、自養、自治、自伝を掲げる)と呼ばれる公認教会も含まれていた。その点から見ても、地方当局の独断でなされた行為だとは考え難い。

実際に、昨年8月には宗教事務局の王作安局長が、新華社通信に公式神学制定の可能性を示唆して「中国のキリスト教神学の構築は、中国の国家の状態に適応し、中国文化と融和するべきである」と語り、キリスト教に対する管理強化を指向する習政権の姿勢を明確にした。

『フィナンシャル・タイムス(FT)』でも、今回のキャンペーンの直接の責任者である浙江省共産党のトップ、夏宝龍(党委書記)が習近平主席と密接な関係を享受していることを指摘し、これだけの大規模かつ統制されたキャンペーンが北京の中央政権の認可なしに起こり得ないという専門家の意見を紹介する。

Jamil Anderlini. “The rise of Christianity in China”. The Finantial Times. Nov 7, 2014
 
 
弾圧か、それとも活用か

ただし、今回の弾圧のもう一つの特徴は、それが全面的でもなく徹底的なものでもなかったということだ。そこには幾つかの理由が考えられる。一つは、西側社会の反発や非難をなるべく避けたいということ。次には、キリスト教自体に利用価値があるということ。そして、最後は、必要以上にキリスト教徒を刺激して、反政府運動に激化するのを避けたいということだろう。

第一点については詳しく説明するまでもない。先ほども触れたように、十字架撤去や教会の解体理由として建築基準などの建前を使い、更には、あくまでも一地方当局の決定という体裁をとることで「中央政府による宗教の抑圧」という批判を巧妙に避け得る手法がとられている。そうした最低限の取り組みで、できるだけ有効なインパクトを与えるために、温州という象徴的な地が選ばれたのであろう。『FT』紙はテキサスに拠点を置くチャイナ・エイド創設者、傅希秋の「浙江省と温州は国内および国際的な反応がどうなるかをみるための実験として選ばれた」というコメントを引用する。

二点目については、先ほどの『CSM』紙にもキリスト教徒による多くの社会貢献事例が挙げられているが、『エコノミスト』も「共産党は、ますます宗教信者たちの助けを必要としている」と指摘した。特に格差の底辺に位置する地方においては社会サービスの供給が滞っている。そうした当局による施策の不備を補っているのがキリスト教徒と仏教徒であり、実際にNGOの多くは宗教系だ。四川大地震の際には、ボランティアの半数以上を福音主義者が占めたとも推定されている。更に、いまだにほとんどが違法だが、全国に2000以上のキリスト教学校が点在し、地域教育を補完する。キリスト教徒の医師や研究者も増加し、トップクラスの弁護士のうち、ほぼ半数がキリスト教徒だと言われている。

また、現代の中国で深刻な課題の一つは倫理、道徳の退廃であるが、その建て直しにもキリスト教は、少なからず貢献している。ビジネスマンを対象にした「聖書」の学習会では道徳性と事業活動を結びつける意識啓蒙が行われ、多くのキリスト教徒たちが、誠実に税金を払い、貧しい人々を助けるようにお互いを励ますグループを作っている。どの地方においても、当局者たちは本音の部分で「良き市民」であるキリスト教徒を当てにしている。

“Cracks in the atheist edifice”. The Economist. Nov 1, 2014

最後に第三点目だが、一方的な弾圧で対処するには、キリスト教徒の数は、あまりにも多くなりすぎている。弾圧が苛烈になりすぎると、キリスト教会が地下に潜り、終末論やメシアニズムを強調して体制変革を扇動する過激主義に走る恐れがある。それこそが最も共産党が恐れる事態だ。現在、中国は世界で最も多く聖書が印刷されている国の一つだが、それが許されている背景にも、オーソドックスな教義を普及させることで過激主義を防ぐという思惑がある。

また、迫害はキリスト教徒の結束を強める恐れがある。『CSM』紙でも、今回の弾圧が公認、非公認両教会双方に対して行われたため、公認教会と非公認教会の間で芽生え始めていた草の根の協力関係を補強したと書いている。こうした副作用についても当局は当然警戒しているはずだ。
 
 
いずれにせよ、キリスト教が中国最大の市民勢力となっている事実は動かしがたい。今回の弾圧に対して教会員が激しく抵抗したことにも見られるように、共産党とキリスト教徒の力関係にも微妙な変化が生まれている。信者層も、90年代は圧倒的に地方の低学歴の貧困女性が多かったが、現在では、入信者の重心が、都市部の高学歴で富裕な若者層に移ってきている。いまだにキリスト教徒は党員になることができないが、社会の富裕層や知識人にキリスト教徒が増えていけば、当然のことながら地方当局や党中央に対する影響力も高まっていくだろう。

個人的な所感の範疇を越えないが、楊鳳岡教授のように「現在の中国は(キリスト教が公認、国教化された)ローマにおける4世紀頃の状況と似ている」と指摘する学者もいる。建国70年を目前にして、政治、経済面における行き詰まりだけでなく、宗教という側面から見ても、共産党支配体制が大きな転換点に直面していることは間違いないだろう。

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