宗教改革500年

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今日は10月31日、1517年のこの日、ルターがウィッテンベルクの神学校の扉に95か条の提題を掲示したことをもって宗教改革が始まったとされている。今年でちょうど500年だ。

実際のシチュエーションは上記の伝説とは異なり、同じ内容を手紙形式でしかるべき相手に送っただけのようだ。しかし、そのもたらしたインパクトは、伝説と同様に、カトリック教会を中心として一体性を保っていたヨーロッパを根底から揺さぶるほどの強さを持ち、近代の夜明けを告げる一大ムーブメントを引き起こしていった。

果たして、宗教改革から500年がたって、ルターの運動は成功したのだろうか?それとも失敗したのだろうか?神学者のピーター・ライトハートは、『FOX NEWS』に「ルターに導かれた宗教改革は失敗した」という主題の短い論説を寄せた。

Peter J. Leithart. “The Reformation, led by Luther, failed. Here’s how we could finally reunite the Christian church”. Fox News. Oct 29, 2017
 
 
ルターの目的は果たされていない

彼は、ルターが95か条の提題を掲げた本来の意図にさかのぼり「宗教改革は失敗した」と述べる。もちろん宗教改革がもたらしたものは非常に多く、西洋のみならず世界に与えた影響は計り知れない。しかし、ルター自身の本来の目的が、形式的信仰に堕していたカトリック教会を改革し、福音の真義を明らかにすることでヨーロッパを「再キリスト教化」するところにあったことを考えれば、その目的は達成されていない。

ライトハートは、宗教改革がもたらしたもっとも「非福音的」な結果は「教会の分断」だと述べる。イエスは、神と人類に和解をもたらし人類相互の和解と統一をもたらすためにやってきた。しかし、宗教改革以後のヨーロッパに現れたものは、キリスト教徒同士の血で血を洗う争乱だった。

その分断は今もなお解決されることなく固定化され、人々は教会が分断されていることにすら違和感を感じなくなってしまった。ライトハートは、そのこと自体を「最悪」の事態だと呼ぶ。

彼は、教会全体の再統一と更新のためのプロジェクトを開始しなければならないと訴える。教会は、あらゆる部族、言語、国家から引き出され、神を中心として一つになった新しい人類共同体でなければならず、そうであってこそ、福音の生きた証となることができるからだ。
 
 
信仰の深化によってこそ再統合が可能となる

三位一体や、イエスの神性など、カトリックとプロテスタントには多くの一致点がある一方で、教皇の存在や秘跡について、聖母マリアの位置づけや信仰義認の考え方など、多くの意見の相違が存在する。葛藤と争いの歴史は、双方に深い傷跡を残してきた。「過去を無視したり、真理を薄めることによって教会を再統合することはできない」と彼は言う。むしろ、キリスト教徒が、福音と真理を「より深く把握し、より誠実に実行することによってこそ、再統合が可能だ」と訴える。

宗教改革の生き残りである福音派の存続可能な未来は、そのままカトリックの未来である。ルターの本来の意思は教会の分断ではなかった。全体的な教会の再福音化、そのための神学的論争をこそ彼は求めていた。

今や、彼が宗教改革を起こしたヨーロッパは、歴史上かつてないほどに神から遠ざかっている。宗教改革の最も善き実をもっていた米国ですら、信仰の衰退が鮮明になりつつある。この状況をルターは嘆いているはずだ。

福音の真義に立ち返り、教会一致を取り戻す…、この命題に真剣に取り組むものだけが、宗教改革の真の後継者を名乗ることができるだろう。

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