チュニジアはモデルとなり得るか

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邦人も犠牲となったチュニジアでの博物館襲撃事件は、世界に大きな衝撃を与えた。「アラブの春」の出発点ともなり、モデルとも見なされてきたこの国の今後は予断を許さない。

ワシントン・ポストでは「この事件は、テロに反対するチュニジア人を一つにする。このような攻撃が私たちの革命と民主主義を弱めることはできない」という声を紹介する一方で、事件を契機として「治安維持を目的に、政府の透明性が低下し、人権の制限が行われ、残虐な刑罰が正当化される恐れがある」という人権団体アムネスティの同国スタッフによる懸念も紹介した。現在、治安部隊の強化のために準備されている反テロ法案の中身が注目される。

Erin Cunningham. “Attack stokes instability fears in North Africa” The Washington Post. Mar 18,2015

この記事では、隣国リビアの状況がチュニジアの治安当局に大きな懸念を抱かせているとも書いている。実際に今回の犯行グループの少なくとも一人が、リビアでの戦闘に加わっていたとの報道が出てきた。

カダフィ政権崩壊後のリビアの状況は惨憺たるものだ。各地に武装勢力が割拠し、事実上の無政府状態である。したがって、チュニジアの過激派がリビアの混乱に乗じて、武器を入手したり、訓練を実施することが容易となっている。

独裁政権が次々と倒れ、各国の民衆が歓喜の声を上げた「アラブの春」もすっかり色あせてしまった感がある。歴史がこの時代をどのように総括するのか、悲観的な材料のほうが多いのが現実だが、せめてチュニジアだけでも、と祈るような気持ちだ。

チュニジアは現在の政権の構成を見ても、まだまだ中東、北アフリカにおけるイスラム国家の民主化のモデルとなり得る可能性を秘めている。

当初、長く続いたベン=アリ独裁政権が倒れたのち、選挙で第一党となり、政権を握ったのはアンナハダというイスラム政党だった。同党は同じ時期にエジプトで政権についたムスリム同胞団などに触発されて結成された。しかし、エジプトでは大統領のムルシが軍事クーデターで追放されたうえ、同胞団は国政から排除され弾圧が強められたのに対して、アンナハダは現在も政権に加わっている。

アンナハダが政権を握ったのは2011年から13年という短い期間であり、新憲法をめぐる政局の停滞、経済政策の不調に加え、イスラム過激派の台頭への対処が遅れたことなどで非難を受けて、結局は下野することとなった。代わりに世俗主義者が政権を握ったが、幸いなことに、その移行は選挙をもって平和裏に行われ、新しい連立政権にはアンナハダも含まれた。

アンナハダの指導層は、政権担当時に過激派の台頭を招いたことを率直に認め、今回の攻撃についても明確に非難を表明し、冒頭で紹介したコメントのように国民の団結と民主主義の堅持を訴えている。

一部には、アンナハダは穏健な表層とは違いモスクでは過激な説教をしているとして、政権から排除すべきとの声もあるようだ。しかし、世俗主義者とイスラム主義政党が共同して、過激主義や暴力に反対する安定した国家を作り上げられるのかどうか、貴重な挑戦をあきらめるべきではない。

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