誰がロシアを救えるのか?

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「クリミアは、ロシア正教の聖地」?

プーチン、そしてロシアは西側に対する疑心暗鬼の中にある。12月4日プーチン大統領は年次教書演説を行ったが、その内容は西側、特に米国に対する不信感に満ちていた。ロシア国内や周辺部における独立運動や民主化運動の背後に米国などの暗躍があると訴え、ロシアが強くなった時には常に「封じ込め」政策が取られてきた、と彼は語った。ロイターは、その印象を次のように書いている。
 
 
「ウラジミール・プーチンは恐ろしい世界に住んでいる。そこには、敵たちが疲れ知らずで穴を掘り、わなを仕掛け、ロシアを破壊しようと企んでいる。「封じ込め」は、単に冷戦時の政策ではなく、ロシアのライバルによる数世紀にわたる実践だった。たとえウクライナでの紛争がなかったとしても、米国とEUは、強制的な経済制裁のために別の口実をつくっただろう。それらは、台頭するロシアに対する避けられない反応なのだ」

懸念されるのは、今年3月のクリミア併合以降、プーチンの演説の中に、民族的宗教的要素が潜り込むようになったことだ。今回の演説でも、彼は、セヴァストポリ(クリミアの中心都市)郊外にあった古代都市ケルソネソスを「ユダヤ教徒、ムスリムにとっての神殿の丘と同様に、ロシアにとっての聖地である」と宣言した。その根拠は、ウラジミール大公がキリスト教に回心した場所がケルソネソスだとされているからである。プーチンは、それをロシアの「精神的な源泉(spiritual source)」と表現した。

Lucian Kim. “Vladimir Putin’s religious, ethnic rhetoric gets a little scary in Russian state-of-the-union address”. REUTERS. Dec 4th, 2014
 
 
もっとも、歴史家などからこの発言には当惑の声が上がっている。『ブルームバーグ』では「ウラジミール大公はモスクワ人と言うよりはキエフ人であり、むしろ、この発言は、クリミア半島に対するキエフ(ウクライナ)の権利を示すだけだ」「歴史家の中では、ウラジミールはケルソネソスではなくキエフ近郊で洗礼を受けたという説がある」などの意見が紹介されている。さらに「ロシア正教の巡礼者にとってはクリミアよりもキエフの方が更に重要な聖地のはずだ」との神学者の発言もあり、プーチンの主張は旗色が悪い。ちなみにロシア正教会の報道担当はコメントを拒んだという。

Ilya Arkhipov, Stepan Kranchenko. “Putin’s Crimea-as-Jerusalem Myth Baffles Russian Historians”. Bloomberg. Dec 5th, 2014.
 
 
この一事を見ても、宗教は紛争の「原因」ではなく、紛争の「道具」として利用されているということを感じさせられる。プーチンはもちろん敬虔なロシア正教徒として知られているが、決して、ロシア正教会に従って政治をしているわけではない。2011年に反政府デモが起こった際にも「民衆の声に耳を傾けるべきだ」と忠告したキリル総主教に対して、プーチンはメディアを使ってキリルを貶める報道を行ない、結果的に彼を黙らせた。あくまでもプーチンは政治家であり、宗教者ではない。プーチン政権とロシア正教との関係については以下の記事が参考になる。

Joshua Keating. “Russia Gets Religion”. Slate. Nov 11th, 2014
 
 
プーチン政権とロシア正教会

この記事の一部を以下に要約して紹介する。

現在、ロシア正教は様々な点で最高の時を迎えている。ロシア人の大多数が自らを正教徒であると自認しており、近年、教会建設も盛んに行われている。何よりも最も重要なことは、クレムリンの中心に献身的な信徒ウラジミール・プーチンがいるということだ。彼は、自分の周囲に信仰的に有力な人々を置き、公式声明の中でも定期的に神に祈りをささげる。ただし、教会と国家の境界線があいまいになることで多くの信徒たちが教会から疎遠になりつつある。批評家たちは、このような状況を、宗教を政府の支部に変える試みだ、と呼ぶ。

カーネギー・モスクワセンターのアレクセイ・マラシェンコは語る。「ソ連時代、私が教会に入る時には自由を感じました。そこにはレーニンとブレジネフの肖像もなく、共産主義がない、私の教会だったのです」。それがプーチンのロシアとなり「今では、私が教会に入る時には『統一ロシア』(ロシアの政権与党)の一員になっているかのように感じます。私はこの教会に行きたくありません」。

聖職者たちについては、対照的な二人の例が挙げられている。一人は政権の方向性に反する言論活動を行ったとして聖職を停止された男。もう一人はプーチン大統領の方向性を支持し、教会と国家が手を携えて進むことは良い事であり、それを対立的に捉えるのは西側の独特の視方に過ぎない、という男だ。

キリル総主教について言えば、2009年にその座に着いたときには自由主義者という評判であった(注:バチカンとの関係も良好で、協力関係に前向きだったという)。しかし、プーチンが政権の座に戻ったころから情勢が変化し始めた。敢えて言えば、プーチンの政治が明らかに宗教的性格を帯びるようになったのは二期目になってからである。そこには2011年後半から2013年前半にかけてのモスクワでの大規模な反政府デモが関係している。

反政府デモの期間中、教会は明確なスタンスを取ることを避けていた。恐らく、政府と抗議者のどちらが勝利するかを見極めていたのだろう。キリルはデモ参加者の要求を心に留めるようクレムリンに忠告もした。しかし、その直後から、キリルの豪華なアパートや高級な腕時計の趣味などが国営メディアで報道されるようになった。このメッセージを受け入れたのか、キリルはその後クレムリンにかなり忠実となった。

抗議は鎮圧され、教会の高位聖職者は、政府の批判者を「神聖なロシア」の敵として非難し始めた。プーチンの個人的な懺悔聴聞師や超宗教的オリガルヒが国家の有力な立場につくようになった。宗教情勢に詳しいアレクサンダー・クラベッキー教授は、国が必ずしも背後で糸を引いているわけではないとしつつ「教会は社会情勢を見ながら、現在、保守的で愛国的な考えに支配されている」と解説する。

ウクライナ問題に対しても、ロシア正教会の立場は複雑だ。ウクライナの正教会は三つあるが、そのうちの一つがモスクワ総主教のもとにある。キリルは「ウクライナは正教国家であり、本質的に神聖なロシアと結ばれている」と表明する一方で「現代ウクライナの主権」にもリップサービスをする。そして、キリルが説教の中で好んで使っていた「Russkiy Mir(the Russian World)」の概念(キリルは文化的キリスト教的な意味だと言っている)を、プーチン大統領が帝国主義的な意味で使用するのを妨げなかった。

しかし、必ずしも「Russkiy Mir」の概念は国外のロシア人を惹きつけるには至らず、ウクライナ統合におけるロシア正教の利用価値は少ないと政権は思い始めている。独立系調査組織レバダ・センターによるとロシア人の68%がロシア正教の信徒を自認しているが、そのうち毎週教会に通っているのは4%にすぎず、62%は聖餐式を受けたことがない、という結果が出た。

プーチンのロシア・エリートの間ではロシア正教は確かに流行しているが「教会がこれ以上、政治的に役立つと証明されなければ、ロシアの宗教リバイバルは、短命なものに終わるだろう」と元聖職者のスベードロフは述べている。
 
 
ユーラシアニズムの誘惑

上記記事を見ると、正教を政治基盤強化のために利用したいプーチンと、政権の力を恐れて曖昧な態度を取る正教会の姿が浮かび上がってくる。カレン・アームストロングは、本来の宗教は思いやりを説いているにも関わらず、現実はエゴや強欲によって他者を抑圧する道具として利用されていると指摘して、「宗教がハイジャックされている」と語った。

しかし、ロシアの現在の状況を見ると、ハイジャックされる要因の半分は、宗教者の側にもあると思わされてくる。プーチンも正教を利用して自らの行動を正当化しようとしているが、正教会の側も、そこに勇気をもって反論する姿勢に欠けている。歴史に「if」はないが、第二期プーチン政権の初期の反政府デモにおいて、キリルが政権を恐れず、有効な調停者としての役割を果たせていたらどうだったか、と考えさせられる。

いずれにせよ、プーチン大統領は国民統合のためのイデオロギーを切実に必要としている。そこで懸念されるのは、むしろロシア正教よりもユーラシアニズムの台頭だ。

その代表的人物がアレクサンダー・ドゥーギンである。彼は、個人の尊重や、自由、民主主義などの西洋的価値観とその代表である米国を、海洋文明「永遠のカルタゴ」として敵視する。そして、協同性や国家主義、個人に対する公共善の優越などを重視する「永遠のローマ」としてのロシアとの対立を不可避なものと捉えている。

彼はプーチンのクリミア併合を積極的に賞賛し、更に東部、南部ウクライナまで進むことを願った。『フォーリン・アフェアーズ』では、彼のことを「プーチンのブレーン」と表現している。

Anton Barbashin, Hannah Thoburn. “Putin’s Brain”. Foreign Affairs. Mar 31, 2014
 
 
傷ついた自尊心の行方
  
このロシアの迷走は簡単には収拾がつきそうにない。上記『フォーリン・アフェアーズ』の記事の冒頭でボリス・エリツィンの言葉が紹介されている。「20世紀のロシアには、様々な時代があった。君主制、全体主義、ペレストロイカ、そして最後に民主主義の道だ。それぞれの段階に固有のイデオロギーがあった。しかし、今、我々は何も持っていない」。

自分たちは、何者なのか?そのアイデンティティの空白を、ロシアはまだ埋めることができていない。プーチンは自らを奮い立たせて「私たちは、団結した強い国家であり、自分たちに自信を持っている」と主張したが、その言葉はどこか空虚に響く。その空白のアイデンティティに、劣等感や被害妄想が結びつくとき、ドゥーギンのような排他的、陰謀論的な思想が入り込んでくる危険が生まれる。
 
 
プーチンは演説の中で、このようにも語った。ロシアは特定の国(おそらくは米国)から「読み書きもできない低い教養の者たちとして扱われて」きた、と。90年代の初頭、ソ連の崩壊直後には、ユーラシアニズムのような考え方になびく者はほとんどいなかった。その頃「多くのロシア人たちは、民主主義と世界への再統合を望んでいた」(”Putin’s Brain”)。その希望は失望に変わり、やがて西側世界全体への不信感へと変わっていった。そこに西側世界(日本を含む)の過失が全くなかったとは言えないだろう。少なくとも、私たちは彼らの信頼を得ることができていない。

欧州評議会の事務総長を務めたヴァルター・シュビマー博士は、相互理解の条件として「寛容では不十分だ。相手を尊敬しなければならない」と指摘した。寛容には、自分を相手よりも上位に置くという感覚が含まれている。冷戦後の西側には、民主主義における劣等生として、無意識のうちにロシアを見下す感覚があったのではないか。ロシアはトルストイ、ドストエフスキーを生んだ国であり、1000年続いたキリスト教国家としての自負がある。プーチンの言葉には、ロシアがその歴史にふさわしいリスペクトを受けられなかったという不満が渦巻いている。
 
 
もちろん、だからと言って、国際法を軽視するかのようなロシアの行動を肯定することはできない。それはロシア自身にとっても悲劇である。傷ついた自尊心の裏返しとしての独善的行動は、国際的孤立に至るのみならず、国内の改革をも妨げ、更なる国際的地位の低下を招く。

この負のスパイラルを、どこで、誰が止めることができるのか。問題の根が、アイデンティティの空白や被害者感情にあるとすれば、ロシア正教会にできることは、まだまだ残っているはずだ。
 
 
 

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